「月夜野百景」のホームページでは、下図のような観月スポットを公表しています。
しかし、どうもこの図を地元の人に見せると、観光スポットとしてどう整備するかという話しにばかりなってしまう傾向があるので、ここでホームページに書いたことをちょっと補足説明させていただきます。
http://www.tsukiyono100.com/#!moon/c1han
ホームページと共に作成した下の「月夜野 お月見ガイド」三つ折りリーフレットの右側部分に記した内容を、そのままでは見づらいので書き出すと以下のような表現になっています。
ここに観月スポットを紹介したからといって、それは必ずしもそこに観光スポットづくりを目指した土地整備を提案しようといったことではありません。
ここに紹介した観月スポットが魅力的な場所であるのは、その多くが私有地としてそこで田畑を管理している人たちの暮らしがあってこその世界です。
観月に最高の土地だからといって、もしそこをまちが買い上げて下手な観月台でもをつくってしまったならば、観光のためだけの管理費がかさむ品のない場所になることは必至です。
まちが雇った清掃員に管理してもらうような空間よりも、そこで田畑を耕している農家の人たちが生活や作業空間として畦を直したり草を刈ったりしている方が、どれだけ美しい空間が維持されるかと思うのです。
さらには、場所は公表できませんが、あるところはキツネの家族の生活空間であり、またどの場所をとってもその他たくさんの先住動物たちの暮らしのある彼らにとってはかけがえのない空間なのです。多くは田畑を荒らす害獣として現れますが、常に人間との距離をはかりながらそこに生きてるのです。
もちろん、それらの暮らしを守るための環境整備はしなければなりませんが、人とあらゆる生き物のバランスのとれた環境こそが、なによりも美しい景観を約束するものであると私たちは考えます。
これら観月スポットを訪れる時は、そうした先人の場所(月のバックグラウンド)にお邪魔させていただくということにも十分気を配っていただければ幸いです。
まさにそうした豊かなバックグラウンドこそが、月の様々な物語を生み出してくれていた主人公たちでもあるのですから。
月をみるということを通じて、わたしたちが取り戻し築いていきたいのは、なによりもこうした暮らしの景観を取り戻すことが優先であり、それがやがて観光につながることも確信してはいますが、決して暮らしの景観を犠牲にするような観光は求めていません。
事実、円安のおかげで急増しているインバウンド需要をみても、外国人観光客たちが日本のどこを見て感動しているのかをつぶさに見れば、それが必ずしも金閣寺や清水寺などの日本的歴史建造物ではないことに気づかされます。
それは日本的ソフトの部分、
つまり国民文化の中に染み付いた「禅」や「武士道」、
マナーの良さや「おもてなし」の精神、
あるいはトイレなどの清潔さを大事にした文化、
あるいは新宿のゴールデン街や原宿や秋葉原のサブカルチャー、
さらには語学力などを問わない田舎のおばあちゃんの親しみやすさ
などにこそ共感し、大きな感動を覚えているのです。
その広い意味でのソフト面をともなった「暮らし」を取り戻すということが、現代では切実な課題となっているのを感じますが、それはとても長い時間をかけて暮らしの習慣として私たちが再自覚して身につけて行かなければならないものなのだと思います。
もちろん、「ハード」ではなく「ソフト」が大事といっても、人が集まる空間には整備された公共のトイレな道路などの整備が不可欠です。
しかし、その場合でもその空間の持つ意味が発揮され認知される十分な「ソフト」と豊かな「バックグラウンド」があってこその世界なのです。
より早く
より多く
より遠くを求めなくても
この地からみあげるだけで
満ちては欠けて
刻々と場所やかたちを
変えながら
再生をくりかえす
月とともにある暮らし。
それは私たちの
ゆったりとした
ここに今あるもののなかにこそ
無限の豊かな世界が
広がっていることを
気づかせてくれます。
(月夜野百景、「月」のページより)