植物には「め」と「は」と「はな」がある。
それに「くち」や「みみ」が加わると動物になる。
原初日本語の深~い~はなしです。
これはどこで聞いた話だか、妻との会話で甦ったので、タイムラインに埋没して忘れないようにBlogに書いておきます。
きっかけは、「お箸のよもやま話」という三田村有純さんのとても素敵な以下の文です。
以下、抜粋です。
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そもそも「はし」というのは、大和言葉。同音語のブリッジの「橋」とか「柱」というものとかね。それ、全部意味があって、「橋」いうのはこちら側とこちら側をこうつなぐためのものですね。柱というのは、この世とあの世を結ぶために立っているものなのです。
じゃ、なぜ箸と言うかと言うと、まず、「し」というのは固定する、固まるという意味ですね。なぜかと言うと縄文時代の人たちは狩りに行くわけです、ワーッと狩りに行って獲物を見つけると、止まれ、動くな、しゃべるな。だから「しっ」。では「は」は何かと言うと、最先端にあって、物事を取り入れる器官の言葉なのです。顔の中に「は」ものが3つあるじゃないですか。分かりますか。
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三田村 そう、そうです。それは何かと言うと、肌は触覚、鼻は嗅覚、歯は味覚です。つまり最先端にある言葉を「は」と言った。ということは、「し」というのは止めるものであれば、「は」というものは最先端にある。それを1つに合体したものを「はし」と日本人が名前をつけたのです。だから、日本のお箸とは「命と命をつなぐための神聖な道具」であるということなのですね。
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最先端にある「歯」や「鼻」。
なにも出っ歯でなくても、十分に最先端です。
朝、散歩に連れ出す犬を見れば、
まさに鼻こそ、最先端です。
なんの最先端かといえば、「命」の最先端なわけです。
気づいていない人が多いようですが、花は、露出した性器であると、ある写真家が言っていました。
大事だからこそ、あらゆる知恵をしぼって露出する植物と秘する人間との違いを「異質なものを寄せつけるために必用な美しさ」として前に書いたことがあります。
http://blog.goo.ne.jp/hosinoue/e/f2843458577856d87a3bb703c3aa874c
「秘すれば花」といいますが、う~~ん、それって真実ですかね?とも思えてくる。
大事だからこそ、根本矛盾と根本対立を含んだ話しになるのでしょう。
「はな」から考えても、
「はし」から考えても、
「は」から考えても、
ほんとこの言葉の世界には興味がつきません。