わたしのカーステレオのSDカードには、300枚くらいのCDを入れることができ、いつも移動の最中楽しんでいます。
ところが、今のクルマのスピーカーがあまり良くないせいか、どうも曲に入りきれない不満があります。
カーステレオのアンプのためなのか、スピーカーの問題なのか、クルマのボディの音響によるのかは分かりませんが、音質によって決定的に左右されるのは、デジタルになって極端になったように思えてなりません。
かつてアナログの時代には、たとえモノラルであっても、カセットテープであっても、音質が劣った場合でもその曲にグッと入りこむ事ができたのに比べると、デジタルの音楽は、音質が劣ると途端にその曲に入っていけなくなってしまうような気がしてなりません。
昔の音質が悪くても、心の奥にまで届く音楽。
あれはどこへ行ってしまったんだろう、と。
この差はなんだろうと思っても、なかなか立証することはできません。
ただビビッド、クリアーだけを求めるのではなく、魂のような部分。
それは決して観念的なことではなく間違いなくあります。
これと同じことを野菜などの農産物でも感じます。
現代の野菜や果物は、昔に比べたらはるかに甘く、みずみずしくなりました。
ところが、確実に味は薄くなり、野菜や果実の生命力そのものが弱くなってきているように思えてなりません。
キュウリでもナスでもトマトでも、昔はもっと味が濃かった。
あの味は無農薬、有機栽培であっても容易には再現できません。
かつての青くて酸っぱいリンゴの味が懐かしいです。
あの酸っぱさは、決して現代の完熟前だから出る酸っぱさではありません。
現代の農業では糖度などしっかり計測、評価できるようになっていますが、生命力の強さを表す指標は何かないのでしょうか。
なにか身の回りの至るところから、生命力のようなものがどんどん消えていってしまっているような気がしています。
これは立証できない私の感覚の問題に過ぎないかもしれませんが、私のまわりの多くの人が同じような印象を口にしています。
とても大事なことが、ただ数値化できない、計測できないというだけで、どんどん置き去りにされていってしまうように思えてなりません。