以下は、ブログ「物語のいでき始めのおや 〜月夜野タヌキ自治共和国」に書いた記事の転載です。
神社の話を人とすると、そこの御祭神は何ですか?とよく聞かれます。
最近では、どちらかというと若い人たちの方が、こうした聞き方をしてくる人は多い気がします。
そうした質問自体は当然のことなのですが、地元の月夜野神社などは、明治時代の一町村一社令により周辺の神社が合祀され21社19祭神も祀っているので、自分で紹介リーフをつくっていながらそれらの神々の名前はほとんど頭に入っていません。いつもさっと答えられずに困っています。
といっても、もともと長い歴史をへて狸が人間に同化してきた身の私たちには、未だに片手5本以上の数字を数えることは苦手なので、覚えること自体を諦めている不信心者なのでご了承いただきたいところですが、実はそうしたこと以外に、御祭神ってそれほど重要なのでしょうか?といった感覚が長らく私にあることも理由の一つになっています。
つまり、現代の当たり前のように存在している神社の姿そのものの多くが、明治時代に作られた側面が多く、それ以前の姿を失ってしまったままであることがあまりにも多いのではないかと感じているからです。
その経緯は、当時の日露戦争後の危機の時代にあった明治政府は、ますます国民の民族的アイデンティティを強化する必要を感じており、国家による神社保護を徹底させようとしていました。
そこで、各神社に国家からの保護金を支給しようとした。
ところが、全国にはおびただしい神社が存在して、明治初年のさまざまな布告にもかかわらず、由来のはっきりしない、ときにはいかがわしいものまでが、同じ神社として祀られていたのが実態でした。
そこで政府は保護すべき神社の数を限定し、いわゆる淫祀小社の類を駆除しようと図った。
明治39年12月、当時の西園寺内閣の内相であった原敬によって、神社は一町一村につき一社にまとめよという一町一村一社令を出すに至りました。
このことは南方熊楠が猛烈な反対運動を起こしたことが知られていますが、その活動で守られたのはごく一部のことで、日本中の神社はこの一町一村一社令によって、大変な数の神さまがその「固有の土地」から切り離されて1箇所にまとめられてしまいました。
これは、明治維新直後に断行された廃仏毀釈に遡る流れのなかにあります。
「神仏分離や廃仏毀釈という言葉は、こうして転換をあらわすうえで、あまり適切な用語ではない。神仏分離と言えば、すでに存在していた神々を仏から分離することのように聞こえるが、ここで分離され奉斎されるのは、記紀神話や延喜式神名帳によって権威づけられた特定の神々であって、神々一般ではない。
廃仏毀釈といえば、廃滅の対象は仏のように聞こえるが、しかし、現実に敗滅の対象となったのは、国家によって権威づけられない神仏のすべてである。
記紀神話や延喜式神名帳に記された神々に、歴代の天皇や南北朝の功臣などを加え、要するに、神話的にも歴史的にも皇統と国家の功臣を神として祀り、村々の産土社をその底辺に配し、それ以外の多様な神仏とのあいだに国家の意思で絶対的な分割線をひいてしまうことが、そこで目ざされたことであった。」
安丸良夫『神々の明治維新』岩波新書
もちろん、こうした行き過ぎは政府の意図以上の流れを生んでしまい、その後是正された面はありますが、その狙いそのものは変わっていません。
つまり、明治時代の古事記、日本書紀の解釈のうえで公認されない神々はことごとく排除され、公認された神々にはすべて序列が付けられているということです。
まさにこのことこそが「近代」というものを象徴する出来事です。
わたしはこのことにどうしても馴染めないので、現在の神社の前で「御祭神はなんですか?」と聞かれても素直にそれに答える意味をどうしても感じられずにいました。
月夜野神社のリーフにも書いていますが、そのそも神社というのは神々の依代となる場所に起因しているもので、それは
神奈備(かんなび)=山、
神籬(ひもろぎ)=森、
磐座(いわくら)=岩、
霊(ひ)=光
などから生まれたもので、その神々の依代(よりしろ)であった場所に人が集まることで社(やしろ)となっていったわけです。
月夜野という地名自体が、月ではなく「ツキ」が「突き」「築」「付き」「着き」などの地形由来の言葉であることを何度か書いてきていますが、そうした突き出た場所こそが、古来、神の依代であり、それが自然に人の依代になり、同時にそこに縄文遺跡があったり、市がたったりしていったという経緯があります。
つまりそうした場所は、漢字などの文字が輸入されるずっと前から日本にあった言葉の歴史が反映されているわけで、当然それは記紀や古代国家の誕生以前の長い歴史そのものであるといえます。
よく誤解されるのですが、だからといって私たちは、「国家」を否定しているわけではありません。確かに月夜野タヌキ自治共和国は、アナキズム的にみえたり共産主義的に見えたり、縄文回帰主義に見えたりする面があり、そう思われても強いて否定しませんが、私たちは歴史的に国家が誕生して現在も存在しているのは歴史の必然として考えてその存在そのものは否定していません。
私たちが考えているのは、どんなに文明や科学技術が進歩しても、生命の土台である自然の価値、存在意味は何も変わっていないということで、それは決して国家や科学技術によって認識されたり、管理された領域のみで成り立つものではないということです。
(この辺のことは、「地方」の本来の意味は「天円地方」から をご参照ください)
もともとカミは、目に見えないもの、名前も付けようがない Something Great です。
自然科学的にも、微生物や細菌、ウィルス、あるいは無機物、宇宙を含むもので、ただひたすら
西行がいう「なにごとのおわしますかは知らねども」の世界です。
それを国家が公認した神々以外は認めないとか、神々に序列をつけるとかいう発想は、極めて限定的な狭い特定の時代の特殊な考え方です。でもそれは、近代へ至る歴史の流れの中では必然なのですが、あくまでもその土台の自然生命の領域はなんら変わっていないということを、この明治以降の御祭神主義ともいえる世界は忘れがちです。
もちろん、そうはいっても神社の実態は、鎮守の杜や伊勢神宮の広大な敷地のなかに、そうした枠を越えた Something Great は紛れもなく誰もが感じています。神社の様々なしきたりのなかにも、それはきちんと残っています。
だからこそ、私たちは日本人の感覚のなかに自然に根付いている公認、登録された神々以外の世界を取り戻していくことが限りなく大事であると思うわけです。
このことは、意外と信仰のことを語っているようでいながら、あらゆる物事の考え方そのものを反映しており、近代社会でコントロール、管理の及ばない領域があること、いかに進歩した社会であっても微生物や細菌などの目に見えない膨大なものの土台の上に成り立っていることを見失わないためにも欠かせない視点であると考えています。
農村の風景のなかから、トンボや蝶々、土の中のミミズが消えても、ここで使っている農薬はきちんと人間には害がないことが証明されているから大丈夫だという世界観。
化石エネルギーや森林などの地球資源を、その土地所有者のみが私的利益を独占し、自然に対してはなんの対価も払わずにいられる社会。
「公共」や「安全」のためであれば、広告看板や電柱、過剰なガードレールなどによる景観破壊も全く気にせずにいられる感覚。
東日本大震災や福島原発事故で、たくさんの復興予算がとられても、業界団体や大手企業に流れるばかりで、被災した当事者にはななかなか届けない構造。
コロナパンデミックで何十兆円もの特別予算が医薬品業界をはじめとする各機関に大金が出ていながら、ワクチン 被害で数日後に亡くなられたり、後遺症で悩んだりしている人には、因果関係が証明できないとのことで一円も出ないこととか。
これらに対する神さまがいるこちら側の世界とは、「コンビニが無くて不便なところ」ではなくて、「コンビニの弁当を買わなくてもすむ豊な暮らし」の世界ということです。
現代では、このシステムに入らないとサービスが受けられなくなりますよ、といった脅しのような文句を伴う「公共」がどんどん広がっています。当然それらは社会に必要なものであることに間違いはありませんが、そこに収まらない存在は許されないという「近代社会」は、やはりちょっと一歩おいて冷静に見なければなりません。
管理、コントロールの及ばない、公認されるかどうか、数値で表せるかどうかに関わりなく私たちの身の回りにある数多の神々の存在を取り戻すことは、地方自治や地域の生命活力を取り戻すためにも欠かせないことであると私たちは考えています。
もしかしたら不信心にも見えるかもしれませんが、もう一度
「御祭神はなんですか?」
という問いのもつ意味を考えてみてください。
それは、決してご祭神は何ですかと聞くことがおかしいという意味ではありません。
歴史解釈の問題を含めて、あまりに神様の名前ばかりにこだわる傾向が強まると、大切なことを見落としてしまうのではないかということを問いたいのです。
明治時代に神々の強引な合祀がされるまで、村のあちこちにあった社は、家々にあったカマドの神、屋敷神、厠の神などとともに、日々の暮らしの中で、食事を作るとき、畑に出るとき、隣の村へ行くときなど、常に出会い手を合わせるような、その場その場の価値を持つものでした。
しかもそれらの大半は、「国家」などは意識しない、それぞれの土地の風土そのものでした。
公認され、登録された神様しか見ないのではなく、神社をめぐる鎮守の森をはじめとする空間にある有象無象のSomething Greatにもっと目を向ける世界観を取り戻すことは、宗教観に限らない何か大切なことを私たちに問うている気がします。それは決して民俗学的な過去のノスタルジーにとどまるものでもありません。
神そのものに対するこうした意識の違いは、そのままその地域の人びとの社会観の違いにもなっていることを私は感じます。
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