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 「Hoshino Parsons Project」のブログ

地名とは地霊の名刺ですからね。(谷川雁)

2015年04月17日 | 「月夜野百景」月に照らされてよみがえる里

「月夜野百景」の企画の密かなる師匠、志賀勝さんの著作はどれもおすすめですが、なかでも『月曼荼羅』(月と太陽の暦制作室 発行)は、月夜野のまちづくりにとっても貴重なネタが満載されているすばらしい本です。

そのなかのひとつですが、四月二十七日の頁に、全国にある一通りの月の地名が出ています。

月輪(京都)、月ヶ瀬(奈良)、三ヶ月(松戸市)、月夜野町(群馬県)、十六夜(島根県)、月見町(富山市、新潟市)、月見(福井市)、月町(新潟市)、月潟村(新潟県)、上秋月(福岡県甘木市)、月丘町(山口県徳山市)、月島(東京都)、月見ヶ丘(宮崎市)、月岡(三条市)、月崎(松前郡)、つきみ野(神奈川県大和市)、月浦(水俣市)、三日月町(兵庫県と佐賀県)、名月(多賀城市)、月出(熊本市)、愛知県・静岡県境に月という村が多数ある。

山には月山(山形県と島根県)、月夜見山(奥多摩)、半月山(栃木県日光)、二十六夜山(山梨県、静岡県)、月の出峠(滋賀県)、三日月山(小笠原父島)、月待ちの滝(茨城県太子町)、月光川(秋田県)、大津市に月輪町があるがこれは月輪の池に由来、京都の嵐山に渡月橋があり、宇治川に観月橋がある。指月(京都府)。

以上一部だが、全国に月のゆかりのある地名など。

それぞれが、どれほど月がいかされた土地だか現代ではあまり期待するほどのものはないかもしれませんが、それでも月夜野に暮らす住民としては、どこも一度は訪ねてみたいものです。

 

ところが、こうした地名は、どんなに素敵なものだと感じていてもその時々の政治や社会情勢などによって、いとも簡単になくなってしまうことがあります。

私たちの「月夜野町」が、そうでした。

平成の大合併にともない月夜野町と新治村、水上町の三町村が合併し「みなかみ町」となりました。

これによって事実上、行政単位としての月夜野町はなくなりました。

合併前の住民アンケートでは、合併後の町名候補は「月夜野町」が一位だったそうですが、なぜか天の声がおりて「みなかみ町」になってしまったそうです。

全国どこでも、こうした問題はおこります。

また、必ずしも多数決で支持されたものが良いとも限りません。

複数の町村の合併の場合、住民数の多い自治体の名前が多数の支持を得る可能性が高いからです。

 

だからこそ、アンケートをとった結果こうなりました、ではなく、

地域にとって地名の果たす役割や意味について、しっかりとした議論を経て決めなければならないと思うのです。

そもそも、平成の大合併は、行政機構の無駄をはぶくためのスリム化が最大のポイントで、行政機構の統廃合と地名の問題は別次元のことであるはずです。

今に限ったことではありませんが、あまりにも安易に政治や行政の力で、そうした地名が簡単に変えられてしまっています。

 

私がお仕事でお世話になっている渋川市も、合併時に旧町名の裏宿、寄居町、下郷、上之町、中之町、下之町、坂下町、南町・・・などの地名がみな渋川市渋川に一括されてしまいました。

たしかにどこの地名でも、決して普遍的なものではなく、時代とともに変わることの方が多いのは事実です。

でも、このところ行われている地名変更の経緯をみると、行政サイドの管理の合理性や地名表現の人気度ばかりが強調され、歴史的由縁の重みはあまりにも軽視されているように見えてなりません。

ある歌舞伎役者が子どもの頃、親に旅に連れられて行ったとき、行き先の名所を見るだけでなくそこに行くまでの道中をしっかり見ておけと、小さい子どもにはただ眠いだけの道中にとても厳しく叱られたと話していました。

芝居や落語などで、物語を語るときに「道行き」の場面はとても大事なものです。

ただ道中の地名を説明し伝えるだけでなく、そこには時間があらわされ、土地それぞれの情景があらわされています。

そんな語りの意味は芝居のなかだけのものではないかと言われそうですが、こうしたことが私たちの暮らしの空間をどれだけ豊かなものにしているか、より多くの人にもっと理解してもらいたいものです。

 

 

そんなことを考えていたときに、詩人である谷川雁の、

「地名とは地霊の名刺ですからね。」

という言葉が目に入ってきました。

 

人やモノの名前に、それぞれ「言霊」として特別の力が宿っているのと同じく、

地名にもそれぞれ、歴史とともに培われた格別の力がやどっているものと思います。

それを谷川雁は「地霊」と表現しました。 

 

 

政治や行政の結果がどうあろうが、

「月夜野」という地名は、現実にインターチェンジや様々な企業名、便宜上の表現などで現実にはたくさん残っています。

これからも、「月夜野」という地名を私たちはそう簡単に捨てるわけにはいきません。

行政機構が効率化のために合併するのはかまいませんが、

「自治」の単位は「より小さく」こそが基本です。 

 

よって私たちの魂のなかにすみついている「月夜野」町は、これからも決してなくなることはありません。

誰が何と言おうが、わたしたちの力で守り育てていきます。

 

参照サイト  旧月夜野町 名前の由来  http://www.geocities.jp/kurasawa_home/info.html

 

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