八束脛の伝説
後閑駅から東北を望めば、三峰山塊の一つの峯として、石尊山が見える。
その岩窟に八束脛明神が祭られてあるが、その神体は人骨である。
その洞窟および明神について、村人たちは次のように言い伝える。
昔、源頼義が奥州で安倍貞任、宗任を征伐した時に、その残党が尾瀬にのがれてこもり、さらに当地に来てこの岩窟に潜んでいた。
食料に困って、毎夜後閑の里に出て稲やひえそのほか、いろいろ作物を盗んでいく。
村人たちは不思議に思い、ある夜あとをつけると、この石尊山に登り、おい繁る太い藤蔓をはい上りその岩窟に這入った。
さては夜あらしの主はこの者と定めてその藤蔓を切り落としてしまった。
それから幾日かの後、夜の明け方その岩屋から、馬の悲鳴が聞こえた。ついに餓えのため馬を刺し殺して自殺したのであろう。その後は再び野あらしは無くなった。
しかしその後、村にさまざまな祟りがあるので、骨を集めて祭ったのであると。
このため昔から、後閑村では村芝居などでも、奥州安達ヶ原袖萩祭文の場(雪降り)は、演じてはならないと言い、事実演じなかったのである。
以上、月夜野町誌編纂委員会 発行 『古馬牧村史』より
(写真は、かみつけ岩坊)
この歴史伝説の受け止め事実、下牧人形浄瑠璃での上演には、隣村というだけで無視することができたのでしょうか。興味津々。
奥州安達ガ原、安倍の貞任・宗任の物語りがこのように月夜野の地とつながっていたことは知りませんでしたが、記憶をたどれば田原芳雄さんによる『尾瀬判官』(文芸社)という小説も、奥州安倍一族の末裔である安倍小三太直任の波乱に富んだ生涯を、この八束脛遺跡の舞台を交え、見事な構成でまとめあげた歴史小説です。
私たちの力いたらず、多くの人にこの本の魅力を伝えられませんでしたが、歴史のあやが思わぬところでつながり、図書館で手に取って読まれる方が増えることを望むばかりです。
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