花の四日市スワマエ商店街

四日市の水谷仏具店です 譚

市井からの眺め 12

2020年02月04日 | レモン色の町

市政施行された明治30年以降の四日市はどんなだったのか?日露戦争で莫大な戦費を使い果たし平民の生活は苦しかった一方、軍事品による機械類の輸入や生糸などの輸出で、国の保護のもと産業は活況を呈した。

写真は明治36年ころの関西鉄道東駅。当時は東口が正面だったが、後に西側が正面となる。

市制後 明治期の歩みを産業を中心に列記してみた。