花の四日市スワマエ商店街

表参道スワマエ商店街会長のひとり愚痴

"赤報隊”の悲劇

2023年03月18日 | レモン色の町

たけちゃんの街あるき 好評の番外編 第二弾をGGシニアさんにアップしていただきました。是非ご覧ください!絶好調!でゴザイマス

(92) 「四日市街歩き番外編第2話/昔を深掘り、鵜の森公園、近鉄四日市駅など」 - YouTube

明治元年1月27日、三滝川河原にて、若者数名が処刑された。

維新の火ぶたを切った鳥羽伏見の戦いで勝利した官軍は、幕府の残党を追って京都から江戸へと進軍した。その先方隊となったのが“赤報隊”である。明治元年、湖東三山の金剛輪寺で旗揚げをした“赤報隊”は、維新政府に認められ、「御一新」と「年貢半減令」を掲げ、民衆の期待を負って江戸へと向かった。

ところが四隊に分かれた“赤報隊”のうちの滋野井公寿の隊が、桑名の晴雲寺に入った折、伊勢長島藩に対して三千両の軍資金を強要したとして捉えられる事件が起きた。真意は定かではないが、維新政府の「年城半減令」が不可能となり“赤報隊”が邪魔になったのが原因とされる。

処刑されたうちの、小室左門(26歳)と綿引富蔵(29歳)は、子孫の手により明治10年12月、栄町の松月庵に埋葬され、その墓碑は今も泊山墓地公園に残されている。

よっかいち歴史浪漫紀行 北野 保著 四日市商工会議所発行より