花の四日市スワマエ商店街

表参道スワマエ商店街会長のひとり愚痴

ぶらり四日市 その三十 西末広町の謎

2023年05月06日 | レモン色の町

今日は一日、暇だったので、末広橋がいつできたのかを考えておりました。まず、明治40年の水谷宜夫氏から借り受けた“四日市史”の地図ですが、明治39年に“四日市四大事業計画”として、阿瀬知川の開さくと入江浚渫、海面埋立て浚渫、諏訪神社前道路改修(諏訪新道)が挙げられています。稲葉三右衛門翁の志を引き継いだ事業でした。

順次年表を引っ張り出してみます。

明治40年  諏訪新道完成(沿線田地の埋め立て大正元年頃まで)

明治41年  阿瀬知川 改修工事完成

明治42年  尾上橋 完成

大正4年   昌栄橋 架設

大正6年12月 第1号埋立地完成 末広町命名

開拓村であった出屋敷が埋め立てられて末広町の名前がつけられます。末広橋は出屋敷と通じる橋だったんですねえ。

大正12年  昌栄町・西末広町誕生

大正14年  三栄組末広町で貨物輸送始める

       第2号埋立地完成 千歳町命名

       四日市東駅前~相生橋~昌栄橋 道路完成

大正15年  千歳橋完成

       北納屋町西運河 埋立竣工

昭和5年   公会堂・商工会議所千歳町に完成

昭和11年  国産振興大博覧会 千歳町で開催(3.25~5.30)

高砂町→尾上町→尾上橋・末広橋→昌栄橋→末広町→昌栄町(出屋敷)→西末広町(あくまでも命名です)

末広橋の北詰めに稲葉三右衛門さんの銅像がたてられたのはいつでしたっけ?当時の港の最先端だったはずです。

末広町に比べて、西末広町の命名は少しあとになります。むしろ北末広町とした方がよかったのでは?