花の四日市スワマエ商店街

四日市の水谷仏具店です 譚

あ~、月日の経つのがが早すぎる

2006年01月09日 | わたくしごと、つまり個人的なこと
今朝、犬の散歩で今日のブログに何を書こうか考えていた。今、ちっとも思い出せない。ススム会長のよく言う「頭の中の消しゴム」がひどい。
全にその部分が消えている。そんなことが起きるようになってきた。これも年のせいか。そういえば月日の経つのがあまりにも早い。よくそんなお話をさせていただくのだが、皆さん一応に同感していただける。
日もお客さんに、速いですねと言ったら、そのことを、孫にどうかと尋ねたらしい。その孫曰く「ながい」そうだ。一日が長いそうだ。いろいろと覚えることがあるからか。何かの楽しみを指折り数えて待っているからか。
かの学習会に参加しても、だからといって長いとは感じない。大人になって楽しみ事は減ったが、その楽しみがあっという間に過ぎてしまえば、これも長いとは感じない。時は確実に流れていくのだ。すごいスピードで。
イラなりに結果が出た。日々が単調だからだ。同じことの繰り返しで変化がない。起きて、食って、仕事して、帰って、酒飲んで、食って、風呂へ行って、寝る。そこへ所々変化が入るが、基本は変わらない。変化を付ければ長く感じるか。食って、起きて、寝て、酒を飲めば長いと思うだろうか。やっていることは変わらないか。
し、今日は映画に行こうとか、どこかに出かけようとか、何とかして変化を付けるのだけれど、楽しいことはすぐ終わってしまう。嫌なことだったら長く感じるだろうか。
かし、オイラは思う。一日の終わりに「あ~今日は長かった」と感じるのは、多分つらいことや、嫌なことがあった日に違いない。それよりも「今日は、事無く無事済んだ」とホッとするほうが幸せなんだろう、多分。
々、早く過ぎ去っていくのは、良いことなのかもしれません。

とんだお客様

2006年01月08日 | わたくしごと、つまり個人的なこと
月日の経つのは早いもので、もう8日。吹く風も冷たいし懐も寒々としてきた。マッチャンから借りたままの「本のお口よごしですが」出久根達郎著が面白いので引っ張り出してきては、布団の中で読ましてもらっている。
久根さんは執筆業と古書店を営んでみえる。ある日、店頭で女学生が騒いでいる。蕪村の詩が学校で出た。すばらしい恋の歌だったので探しに来たらしい。ところが歌の送り先が男の名前になっている。「ほんとに男なんですか?」と尋ねる女学生に、出久根さんは「鑑賞は読み手の自由。女性相手と思って読めば良いんじゃないですか」と答えた。「ホモなんて気味悪い」とその女学生は買わずに帰っていった。
ころが、続くエッセイでこの話は嘘だとおっしゃる。創作だったと書いてある。蕪村の意にそぐわなかったので創作したということだ。真実はどうだったのか?
の女学生は代表で蕪村の本を買うことにした。定価1700円。ところが下取りはいくらかと聞く。1000円だね、と答えた。一部コピーして明日持ってくるがいくらかと聞く。それなら読み賃として200円だけいただく、ということで交渉が成立、女学生の学習のためだとおまけして1500円で売った。
日、その女学生が本を持ってきた。「ハイ、200円引いて1300円で引き取ります」ところがその女学生は下取り価格が1500円のはずだったと言う。おまけしたのは売り手の勝手で、定価は1700円だと主張する。結果、言い分どおりの価格となった。その女学生はコピーしてみんなに売り、その分儲かったと喜んで帰った。釈然としない。なまじ情けをかけたため、何をしたのかわからない結果になった。
イラの店でも以前こんなことがあった。五具足をメッキして欲しいが、いくらかかるかと電話でのお尋ねがあった。2万円ぐらいでしょうか?とあいまいに答えておいた。
年後、価格の念を押して持ってみえた。これなら2万円で出来ます。と答えてお預かりした。ところが火立てが一本しかない。早速、電話を掛けて、もう一個残っていませんか?と尋ねた。無い、という返事だったので、そのままメッキした。
来上がって取りにみえた。2万円ですと言うと、1個足りなかったのだから、その分引いて欲しいとおっしゃる。結局、3000円値引きした。
れも釈然としない。その都度、はっきりした予算を知らせるべきだったが、当店のような小さな店では、人対人の信用でさせていただいているようなものだ。扱う品が宗教用具なので、なおさらと思うが、きちっと価格は告げていくべきなのだろう。
強させられた。
の本も最終にかかってきた。お名残惜しい。

なばなの里探訪

2006年01月06日 | わたくしごと、つまり個人的なこと
4日からお店を開けさせていただきました。まだまだ、スワマエ通りは正月休みのお店が多く「お宅、開いていて良かったわ」と喜んでくださるお客様が目立ちました。
オニシヤさんは3日から初売りだったそうですが、あまり閉まっている店が多いので、そそくさとお店を閉められたそうです。
て5日は木曜で定休日。少し気まずい思いで、堂々とお休みをいただきました。孫を連れてお千代保稲荷さんへ。さすがに人の出はすごいです。勢いに任せて、何でも売っているという感がします。なぜこんなところで、こんなものを売っているの?といったお店も見受けられます。鰻を食べて、もろこと漬物をお土産に買って、人ごみから吐き出されました。
いでに、なばなの里に寄りました。入場料が15時までだと1000円ですが、夕方になると1500円になります。夜のイルミネーションが始まるからです。まだ1000円ですか?と入り口で聞いたのですが「今、4時10分ですよ」といわれて定額料金を払わされました。「団体割引は利かないの?」といっても受け付けていただけませんでした。ケチ!
灯式は5時15分。喫茶でコーヒーやアイスクリームを食べて時間を稼ぎました。まだ時間があるので、ウエイトレスの姉ちゃんの目を盗んで、園内で買った最中を食べました。
待ちかね、ピーターラビットのウサギの縫いぐるみが点灯式を行ないます。どなたか点灯ボタンを押してくださいと言うので、孫を連れて出ようとしたら、すでに式典参加のお客様は選別されていた模様でした。こりゃまた残念
が喜んで、ウサギに握手をねだります。ウサギさんが、かわいいと孫の顔を撫で回します。あまりこするので「これ、幼児虐待やんか」といったら、驚いた様子で後ろに下がっておりました。ピーターラビットとはいえ所詮人間です。
と手間にあかして、これだけ電気をつければ、そりゃあすばらしい風景です。
れにしても、寒かった。おまけに、帰りは、ひどい渋滞でした。

映画「キング・コング」

2006年01月04日 | わたくしごと、つまり個人的なこと
ハイハイ、キング・コングでございます。一日は映画1000円。これは大画面で観ないと意味がない。ということで、お屠蘇気分で出掛けました。
ング・コングの映画は今回で3回目。前回は時代を今にしていましたが、今回は初心に帰って1933年のニューヨークが舞台。最後、コングがエンパイア・ステートビルに登る空撮のCGは、夕暮れの中、目を見張るばかりのニューヨークの風景です。飛行機と共にぐるぐる回る景色には、良くぞ作り上げたものだと驚嘆に値します。
焼けと申しますと、あの「3丁目の夕日」をどうしても思い出してしまいます。その後、DVDで黒澤明の「生きる」を観ました。ここにも夕焼けのシーンが出てきます。余命いくばくもない市民化の課長、鈴木(志村喬)は、自分の最後の仕事として公園を造ることに専念します。白黒作品でしたが、真っ赤な夕焼けの中で、こんなにきれいだったと気がつかなかった。しかし、もう遅い。と夕暮れの中でたたずみます。最後に、雪の中ブランコに乗って「ゴンドラの歌」を歌うシーンと並ぶ名場面だと、オイラは思います。
ング・コングに戻ります。内容は、初回作品に忠実になっています。ストーリーはさして目新しさはありません。見所は、コングが恐竜と戦うシーンと、摩天楼の上での最後のシーン。ペット好きの方には、コングがかわいそうでかわいそうでたまらなく感じることでしょう。ビルの上には、追い詰められて上っていくのですね。
25年ほど昔、当商店街のイベントで、初期の「キング・コング」を16ミリで上映したことがありました。自転車やさん跡の空き店舗に映写機を備え付け、看板も手書きでこしらえました。苦労した割には子供が一人だけ観ていた記憶がございます。今だったらタイムリーだったかも知れません。
ングは自然界の寵児です。自然を恐れぬ人間は、役に立たないとなると、片っ端からつぶしにかかります。自然に対する人類の思い上がりを鋭く風刺しています。
ころで、コングの恋人役、ナオミ・ワッツって変な名前です。イギリス生まれで、オーストラリア育ち。日本とは何の関係もなさそうです。
後はCGで泣かされました

元旦の諏訪神社

2006年01月01日 | おいらの商店街

あけまして おめでとうございます
1月1日午前7時30分の諏訪神社の様子です。
ようやく雲間から初日が出てまいりました。
マラソンで神社に駆け込む 年寄りの姿が目につきます。
どうかご参拝ください。
表参道スワマエの中入道は すっかり居ついた感があります。
前を通る年寄りが 「これ本物か?」
「本物やわさ」 と会話していきました
中入道の 本物でございます