花の四日市スワマエ商店街

表参道スワマエ商店街会長のひとり愚痴

大四日市まつり開催!

2016年08月08日 | 四日市商店連合会です

8月6日コンテストおどりフェスタ2016が開かれ、今年も商連として審査員で参加させていただきました。年ごとに盛んになってきており、今や大四日市祭りにはなくてはならないイベントとなっています。明らかに優勝を目指すグループとそのほかのグループとの差が出てきていますが、15名の審査員で笑顔最高賞や楽しさ一番賞などたくさんの賞を作っていただき、参加することが楽しいイベントになっています。

感じたことは、審査発表までのあいだ居場所がなく、見物客の子供さんの前に立ちはだかっていなければならなかったことと、審査票の用紙が細かい字でしたので、暗い中での記入が大変とのことでした。グループ名を少し大きな字にしていただければと希望します。

誰でも気軽に参加できるおどりフェスタであり続けていただきたいと思っています。


”寅さんと渥美清と”より

2016年08月05日 | 諏訪商店街振興組合のこと

渥美清 没後20年“寅さんの向こうに”小泉信一監修 週刊朝日MOOK

山田洋次監督“寅さんと渥美清と”より

「渥美さんは東京の下町で貧しい少年時代を過ごしました。病弱で学校は休んでばかり。戦後の混乱期の不良少年時代を経て、浅草のストリップ劇場でコメディアンとしてデビューし、そしてテレビ、映画を通して喜劇スターとなる。その渥美さんの人生観や美意識、感性を土台に落語に登場する「熊さん」をモデルにして生まれたのが「車寅次郎」です。

詩人でした。人間を、自然を、実に美しい言葉で表現する人であり、社会のあり方や時代について鋭い批判眼をもった人でした。組織や団体に帰属することなく、ひとりの個人として、何が正しくて何が間違っているかを厳しく判断できる人。偉い人や権力者にはまったく興味がない。不幸な人、大きな声を出せない人、つまり社会の弱者の味方であり、生涯を通して決して、それを裏切らなかった人でした」

映画撮影の合間などに、渥美は時々カメラマンのムトー清次を散歩に誘った。東京浅草の「駒形どせう」で鍋をつついた時のことだ。渥美はつぶやいた。

「どじょうなんて、馬子が食うようなものだったがね。立派になっちゃって」

ムトーが

「佐藤(栄作)首相も好きらしいですよ」と返すと、渥美は言った。

「栄作さんも、馬子だったのかねえ」

にやりと笑った渥美の顔を、ムトーは昨日のことのように覚えている。