四日市宿での刃傷事件 直前編
東海道分間延絵図より四日市宿
さて、四日市宿へ怒り心頭で乗り込んできた大塩安兵衛(訂正:大塩安五郎)との交渉が始まりました。天保5年10月8日、仙助が頼み込んだ5人のうちの栄助と伊三郎が桑名から戻ってきます。二人は、相手が武士だから土地の人間で説得してくれと、四日市宿の旅籠の人達にお願いします。虫の良い話です。しかし、話し合いは物別れしました。そして、またまた桑名宿から応援が到着。旅籠屋常八(46才)・旅籠屋仙蔵(55才)・旅籠屋弥八(44才)・旅籠屋茂兵衛(34才)の4人は、勇んで来たものの四日市宿の人たちの談判が失敗に終わったことを聞き、そそくさと帰っていきました。事の次第を知った四日市の宿泊人、尾州の無宿人 浅之介と下総の国の惚源新田の百姓 安兵衛(大塩の下男も安兵衛だから混同のないように)もこの話に同情して仙助のもとにやってくる。話は徐々に大きくなってまいります。
令和5年の札ノ辻 南方向
仙助の泊まる四日市宿の旅籠 七右衛門は、非は大塩側にあるのだからもっと強く出るべきだと言って、助っ人を募ろうとしますが、仙助は、後ろめたさにこれを止めます。その夜の事です。大塩安兵衛から七右衛門旅籠の栄助と伊三郎 宛てに申し入れが届きます。『当事者の仙助と口入屋の無宿甚平はけしからん奴だ、こちらの旅籠へ連れてこい』と・・・。
令和5年の札ノ辻 北方向 東海道四日市宿資料館
武士と平民の意地の張り合いに拡大してまいりました。ややこしいでしょう?私もまとめようとしているのですが、未知の事件を順に追っているので、くどくなってしまいます。次回は端的に書きます(相関図の製作中)。そして、事件発生編へ続く!