花の四日市スワマエ商店街

表参道スワマエ商店街会長のひとり愚痴

ぶらり四日市 番外編 刃傷事件④

2023年02月10日 | レモン色の町

四日市宿での刃傷事件 直前編

東海道分間延絵図より四日市宿

さて、四日市宿へ怒り心頭で乗り込んできた大塩安兵衛(訂正:大塩安五郎)との交渉が始まりました。天保5年10月8日、仙助が頼み込んだ5人のうちの栄助伊三郎が桑名から戻ってきます。二人は、相手が武士だから土地の人間で説得してくれと、四日市宿の旅籠の人達にお願いします。虫の良い話です。しかし、話し合いは物別れしました。そして、またまた桑名宿から応援が到着。旅籠屋常八(46才)・旅籠屋仙蔵(55才)・旅籠屋弥八(44才)・旅籠屋茂兵衛(34才)の4人は、勇んで来たものの四日市宿の人たちの談判が失敗に終わったことを聞き、そそくさと帰っていきました。事の次第を知った四日市の宿泊人、尾州の無宿人 浅之介と下総の国の惚源新田の百姓 安兵衛(大塩の下男も安兵衛だから混同のないように)もこの話に同情して仙助のもとにやってくる。話は徐々に大きくなってまいります。

令和5年の札ノ辻 南方向

仙助の泊まる四日市宿の旅籠 七右衛門は、非は大塩側にあるのだからもっと強く出るべきだと言って、助っ人を募ろうとしますが、仙助は、後ろめたさにこれを止めます。その夜の事です。大塩安兵衛から七右衛門旅籠の栄助伊三郎 宛てに申し入れが届きます。『当事者の仙助と口入屋の無宿甚平はけしからん奴だ、こちらの旅籠へ連れてこい』と・・・。

令和5年の札ノ辻 北方向 東海道四日市宿資料館

武士と平民の意地の張り合いに拡大してまいりました。ややこしいでしょう?私もまとめようとしているのですが、未知の事件を順に追っているので、くどくなってしまいます。次回は端的に書きます(相関図の製作中)。そして、事件発生編へ続く!

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ぶらり四日市 番外 刃傷事件 ③

2023年02月07日 | レモン色の町

四日市宿での刃傷事件 直前編

大塩は、今までかかった旅費等の穴埋めに花香を上方へ売り飛ばすこととした(ひどいことをする!)。上方出身(で詳しい)の下女ゑいと、下男安兵衛には大小の刀をつけさせて三人で上方へ向かう(この刀が曲者ナノです)。天保5年10月初旬のことである。このことを聞いた仙助は、仲間5人と共に桑名を出立し日永村で三人に追いついた。仙助は花香を引き戻そうとする,安兵衛は鞘のついたままの刀で殴打する、ゑいも持っていた杖で仙助らを打擲(ちょうちゃく=打ちたたくこと)した。安兵衛が仙助らに曰く『養女にした娘花香に理不尽を働くとは不届き、このことを大塩へ言いつけるぞ』と、三人はそう罵って名古屋へ引き返した。

この時の仙助が雇った仲間5人はどんな連中だったのか?おそらく今の金にして一人3万から5万円ぐらいは掴ませたのでしょうナ。桑名宿江戸町 旅籠屋 栄介(48才)・同町旅籠屋 伊三郎(45才)・同町旅籠屋けい雇人 弥助(40才)・日雇稼ぎ百姓 佐助(37才)・出稼ぎに来ていた四日市宿百姓 藤蔵(46才)の5名であった。この騒動の後、仙助はあきらめきれずに四日市に残ったが、5名は桑名宿へ戻り、ことの顛末を宿場のみんなに言いふらしている。

さて、ここで口入れ屋の無宿甚平の登場でアリマス(彼は仙助の処へ花香の世話をした男)。彼は花香らが泊まっていた旅籠へ行って花香は逃亡癖があるから見張りをつけてくれと頼み込んだ。旅籠がどういう処置をとったかは分かりませんが、このことを知った大塩安五郎は、自ら四日市へ駆けつけることとなりました(怒髪天を衝く)。つづく

GGシニアさんが私のまち歩きをYouTubeでアップしていただきました。今までブログでご紹介させていただいたあっちやこっちを 動画で配信できることとなりました。どうかお楽しみに・・・

(19) 「たけちゃんの四日市街歩き/第1回、旧東海道商店街から有名作家生誕の地へ」 - YouTube

<緊急付録>

コンベア寿司さんの話題が、コメント欄で賑わっておりますので、昭和43年当時のマップを掲載いたします。

コンベア寿司の文字が・・・

同じ場所が昭和53年にはすわ寿司ビルになっております

コメント (2)
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ぶらり四日市 刃傷事件 ②

2023年02月06日 | レモン色の町

四日市宿での刃傷事件・展開編

仙助と無宿人丈助は話し合いの為、花香をかくまう名古屋の尾張藩 大塩安五郎のところに出向く。大塩側は利兵衛兵八が立った。交渉の末、花香の残りの年季奉公分が、仙助に支払われたが、仙助は、花香には保証人が居るので最後に挨拶だけ済ませておきたいとだまし、一旦桑名に連れて帰ることとなった。

宮の渡し

利兵衛と兵八ら一行は花香をつれて宮から船で出る。さて、船の中で無宿人 丈助は、桑名に着いたら改めて交換したいと金を押し返し、書付を取り上げてしまった。丈助は強面の顔で迫ったのだろう。本領発揮であります。

さて、桑名の七里の渡しに着くや、仙助は、花香の不承知を理由に引き渡しを断りだした。そこで2回目の交渉が交わされる。交渉は不成立に終わり利兵衛らは空しく帰り、大塩に報告した。大塩は大いに怒り、無宿竹蔵を伴い再び桑名へ行くように命ずる。3回目の交渉中に、竹藏は旅人の格好で仙助の旅籠へ出向き、仙助を脅して花香を名古屋へ連れ戻した。

宮の渡し

これに対して仙助は、浪人岡田泰助の助っ人と共に名古屋へと乗り込むが、(4回目の交渉)大塩本人が出てきて(怒髪天を衝く!)強圧的な態度をとったため、仙助は恐れをなし、残りの奉公分のお金も花香も放り出して逃げ帰ってしまった。

こうして大塩安五郎の元に花香が残ったわけであるが、肝心の太七が居なくなってしまった。そこで、今までかかった桑名への往復賃などを取り戻すため、花香を上方へ売女として売り飛ばすこととした。人身売買である。

ここで気になるのが、花香の気持ちにまったく触れられてないという所である。最初は太七と名古屋へ逃げ出したが、その後は男たちの言うなりに右へ左へとさまよっている。単なる商品としてみられていたのか?悲しい限りである。

そして、いよいよ刃傷沙汰が起きるのである。  つづきます

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ぶらり四日市 番外 刃傷事件 ①

2023年02月03日 | レモン色の町

四日市宿での刃傷事件・発端編

天保5年10月10日、四日市宿で刃傷事件が起きた。桑名宿の飯盛り女をめぐって4人が負傷した事件である。この事件の顛末を上野秀治氏が“四日市市史 第1巻”に書いてみえるので紹介させていただきます。

東海道分間延絵図より“四日市宿”

天保4年、桑名宿の飯盛り女“花香”と懇ろになった名古屋久屋町の“太七”は、桑名の旅籠屋“仙助”の処から“花香”をひそかに名古屋へ連れ出した。しかし、見受けするお金もなかったので、武家である尾張藩家臣“大塩安五郎”に泣きつく。(ここで疑問がわく。町人の困りごとになぜ武士が絡んだか?)一旦“花香”を預かった大塩は“利兵衛”と“平八”を立てて見受けの交渉をすることにした。一方の“仙助”は、これを受けて無宿人“丈助”と共に名古屋へ出向いた。(やくざを取り込んでの事態となった)。後に“仙助”は、“丈助”が無宿人だったとは知らなかったと話している。第1回目の交渉である。

天保時代(下が南 訂正:下が北でした スミマセン)思えば、昔の人って北を上にする癖がなかったんですね。

大塩側は、“花香”の残りの年季奉公分のお金を“仙助”に支払うというまっとうな提案をした。これに対し“仙助”は応じるふりをして、あとで“花香”を取り戻そうとたくらんでいた。 つづく

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