きょう配信しました。
不登校児とひきこもり青年の言動は、良かったり悪かったりということの繰り返しであることが多いと思います。前向きな発言が出たり実際に行動を起こしたりしたかと思えば、後ろ向きの発言が出たり起こしていた行動をやめてしまったり。
そこで今号のコラムでは、子どもの不登校と青年のひきこもりが、上向きの波(上り調子)と下向きの波(下り調子)を繰り返しながら、徐々に調子が良くなっていく歩みであることを、懐メロ「三百六十五歩のマーチ」に出てくる歌詞「三歩進んで二歩下がる」にたとえて指摘しています。
そのうえで「実行しなければ意味がない」と軽視しがちな前向きな発言を、細大漏らさず「一歩前進」と受け止めることで「三歩進んで二歩下がる」すなわち「一歩一歩進んでいる」と理解することの重要性を訴えています。
次号では「本人の言動をどう受け取ればいいのかについて、さらに詳しく考える」とのことですので、続けてお読みくださいますようお願いいたします。
『ごかいの部屋』174号
不登校児とひきこもり青年の言動は、良かったり悪かったりということの繰り返しであることが多いと思います。前向きな発言が出たり実際に行動を起こしたりしたかと思えば、後ろ向きの発言が出たり起こしていた行動をやめてしまったり。
そこで今号のコラムでは、子どもの不登校と青年のひきこもりが、上向きの波(上り調子)と下向きの波(下り調子)を繰り返しながら、徐々に調子が良くなっていく歩みであることを、懐メロ「三百六十五歩のマーチ」に出てくる歌詞「三歩進んで二歩下がる」にたとえて指摘しています。
そのうえで「実行しなければ意味がない」と軽視しがちな前向きな発言を、細大漏らさず「一歩前進」と受け止めることで「三歩進んで二歩下がる」すなわち「一歩一歩進んでいる」と理解することの重要性を訴えています。
次号では「本人の言動をどう受け取ればいいのかについて、さらに詳しく考える」とのことですので、続けてお読みくださいますようお願いいたします。
『ごかいの部屋』174号