去年の春から夏にかけて、本欄では7回にわたり“荷物”(=自分のこだわり)と“よろい”(=世間の常識)という、ふたつをキーワードにして「本人が“よろい”を脱ぐ(=世間の常識を捨てる)ことや“荷物”を捨てる(=自分のこだわりを捨てる)ことの難しさと、それらを容易にする対応」について考えました。
この論考は周囲の支援関係者の方々に好評をいただき、所属する学習会やミニ講演会など数ヶ所でテーマとして依頼を受け、内容を再構成してレジュメを作成し、それをもとにお話させていただきました。
そこで今回から、その話の内容を3回に分けてお伝えします。
なお、この論考をお読みでない方は、去年6月2日配信の78号から84号までの本欄を、あわせてお読みいただくと理解しやすいかと思います。
〔上〕“荷物”と“よろい”
不登校児やひきこもり青年の心理として、よく挙げられるのが「こだわりが強い」という点です。そのため「不登校児やひきこもり青年は、こだわりがなかなかとれないから変わるのに時間がかかる。だから不登校やひきこもりは長引くことが多いのだ」と言われています。
ただ、ひと口に「こだわり」と言っても、それにはふたつの種類があることを理解して対応すべきであると、私は考えています。
ひとつは、文字どおりの「こだわり」、すなわち自分のなかから生まれているこだわりです。
たとえば「健康にいいことなら何でもやる」とか「ブランド物は○○しか買わない」などというものです。私はこれを“荷物”にたとえたいと思います。
もうひとつは「世間の常識」、すなわち社会から取り込んだ、あるいは社会から与えられたこだわりです。
たとえば「子どもは学校に通うのが当然」「中学を卒業したら正規の高校に入るのが一般的」「おとなは働くのが当然」「正規に就職して一人前」というものです。私はこれを“よろい”にたとえたいと思います。
もちろん、どちらも社会や時代の影響抜きにはありえない価値観なのですが、前者は人それぞれの個人的な信念であるのに対し、後者は社会通念として、大多数の現代人の間で共有されている信念である、というところが大きく違います。
さて、このふたつのこだわりは、多かれ少なかれ誰でも持っているものです。ところが、ひとたび学校へ行けなくなったり社会に出られなくなったりすると、両方強くなって本人を苦しめるようになります。
前者の「こだわり」が強くなると「親との関係」「学校でいじめられた体験」「職場での失敗体験」などといった、マイナスの記憶や経緯に執着するようになります。過去の出来事や解決不可能な問題をあきらめることができず、どうすればよかったかを繰り返し追求し続けます。
私はこれを「重い“荷物”を背負っている」と表現しています。
後者の「世間の常識」が強くなると、前述したような「普通の人生」「常識的なプロセス」に執着するようになります。内申点の関係で普通高校に進学することが不可能なのに、フリースクールを選択肢に加えることを拒否したり、ボランティアやアルバイトをせず、最初から正社員として就職することをめざしていたりします。
私はこれを「重い“よろい”を着ている」と表現しています。
現実の生活のなかでだって、重いよろいを着たまま重い荷物を背負っていては、とても動ける、あるいは動き続けられる状態ではないのと同じで、不登校児やひきこもり者は、心理的にそのような状態になった結果、苦しくなり、動けなくなっているわけです。
++++++++++
「登校するのが(働くのが)普通なのにそうできない」という気持ちと「ひっかかっていることへのこだわりを捨てることができない」という気持ちを両方もっていては、平穏で元気な生活を送ることは、とてもできないでしょう。(78号)
++++++++++
では、このような心理状態を変えること、つまり苦しみが軽くなって動き出せるようになるためには、本人はどうすればよいのでしょうか。
私は論考のなかで、次のように述べました。
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結論からいいますと“よろい”(=世間の常識)と“荷物”(=こだわり)の、どちらかを捨てることです。
そこで「今の自分は、登校できない(働けない)時期なんだ」と、現在のありのままの自分を受け入れるか「今ひっかかっていることをそのままにする」とあきらめるのかの、どちらかを選択することです。
しかし現実には、周囲は“よろい”を脱ぐことは認めず“荷物”を捨てることだけを要求するものです。(78号)
常識的に考えると「背負っている“荷物”を捨てればいい」ということで片づいてしまいます。というか、大多数の人々は“荷物”を見つけても拾わず、背負った“荷物”が重ければ捨てているわけです。
それが“生きる知恵”でもあることは確かでしょう。
しかし“荷物”を捨てられるかどうかは、本人の性格だけでなく、そのときどきの状況や人間関係など、本人以外の要素も関係します。したがって、本人以外の要素が取り除かれるようサポートしないまま、一方的に「捨てろ」とだけ説得しても、本人は捨てられないことが多いと思います。(78号)
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次号では“荷物”と“よろい”を捨てることができない本人の心理に迫ります。
2005.10.05 [No.109]
78号から84号までの論考をあわせて読む(78号が出ます)
この論考は周囲の支援関係者の方々に好評をいただき、所属する学習会やミニ講演会など数ヶ所でテーマとして依頼を受け、内容を再構成してレジュメを作成し、それをもとにお話させていただきました。
そこで今回から、その話の内容を3回に分けてお伝えします。
なお、この論考をお読みでない方は、去年6月2日配信の78号から84号までの本欄を、あわせてお読みいただくと理解しやすいかと思います。
〔上〕“荷物”と“よろい”
不登校児やひきこもり青年の心理として、よく挙げられるのが「こだわりが強い」という点です。そのため「不登校児やひきこもり青年は、こだわりがなかなかとれないから変わるのに時間がかかる。だから不登校やひきこもりは長引くことが多いのだ」と言われています。
ただ、ひと口に「こだわり」と言っても、それにはふたつの種類があることを理解して対応すべきであると、私は考えています。
ひとつは、文字どおりの「こだわり」、すなわち自分のなかから生まれているこだわりです。
たとえば「健康にいいことなら何でもやる」とか「ブランド物は○○しか買わない」などというものです。私はこれを“荷物”にたとえたいと思います。
もうひとつは「世間の常識」、すなわち社会から取り込んだ、あるいは社会から与えられたこだわりです。
たとえば「子どもは学校に通うのが当然」「中学を卒業したら正規の高校に入るのが一般的」「おとなは働くのが当然」「正規に就職して一人前」というものです。私はこれを“よろい”にたとえたいと思います。
もちろん、どちらも社会や時代の影響抜きにはありえない価値観なのですが、前者は人それぞれの個人的な信念であるのに対し、後者は社会通念として、大多数の現代人の間で共有されている信念である、というところが大きく違います。
さて、このふたつのこだわりは、多かれ少なかれ誰でも持っているものです。ところが、ひとたび学校へ行けなくなったり社会に出られなくなったりすると、両方強くなって本人を苦しめるようになります。
前者の「こだわり」が強くなると「親との関係」「学校でいじめられた体験」「職場での失敗体験」などといった、マイナスの記憶や経緯に執着するようになります。過去の出来事や解決不可能な問題をあきらめることができず、どうすればよかったかを繰り返し追求し続けます。
私はこれを「重い“荷物”を背負っている」と表現しています。
後者の「世間の常識」が強くなると、前述したような「普通の人生」「常識的なプロセス」に執着するようになります。内申点の関係で普通高校に進学することが不可能なのに、フリースクールを選択肢に加えることを拒否したり、ボランティアやアルバイトをせず、最初から正社員として就職することをめざしていたりします。
私はこれを「重い“よろい”を着ている」と表現しています。
現実の生活のなかでだって、重いよろいを着たまま重い荷物を背負っていては、とても動ける、あるいは動き続けられる状態ではないのと同じで、不登校児やひきこもり者は、心理的にそのような状態になった結果、苦しくなり、動けなくなっているわけです。
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「登校するのが(働くのが)普通なのにそうできない」という気持ちと「ひっかかっていることへのこだわりを捨てることができない」という気持ちを両方もっていては、平穏で元気な生活を送ることは、とてもできないでしょう。(78号)
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では、このような心理状態を変えること、つまり苦しみが軽くなって動き出せるようになるためには、本人はどうすればよいのでしょうか。
私は論考のなかで、次のように述べました。
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結論からいいますと“よろい”(=世間の常識)と“荷物”(=こだわり)の、どちらかを捨てることです。
そこで「今の自分は、登校できない(働けない)時期なんだ」と、現在のありのままの自分を受け入れるか「今ひっかかっていることをそのままにする」とあきらめるのかの、どちらかを選択することです。
しかし現実には、周囲は“よろい”を脱ぐことは認めず“荷物”を捨てることだけを要求するものです。(78号)
常識的に考えると「背負っている“荷物”を捨てればいい」ということで片づいてしまいます。というか、大多数の人々は“荷物”を見つけても拾わず、背負った“荷物”が重ければ捨てているわけです。
それが“生きる知恵”でもあることは確かでしょう。
しかし“荷物”を捨てられるかどうかは、本人の性格だけでなく、そのときどきの状況や人間関係など、本人以外の要素も関係します。したがって、本人以外の要素が取り除かれるようサポートしないまま、一方的に「捨てろ」とだけ説得しても、本人は捨てられないことが多いと思います。(78号)
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次号では“荷物”と“よろい”を捨てることができない本人の心理に迫ります。
2005.10.05 [No.109]
78号から84号までの論考をあわせて読む(78号が出ます)