きのう配信しました。
今号のコラムは、前々号の最後にふれた「ゲームに熱中しているのを認めてよいのか?」「楽してうまくいくものなのか?」といった疑問に答える第1弾として「学校/社会復帰への努力」という<周囲がやらせたいこと>よりも「本人が今やっていること」すなわち<今のエネルギーでできること>を、何でもいいから認めるべきであることを、タイトルの「易から難へ」にたとえて訴えています。
本人が毎日のようにやっていることの意味とそれを認めることの大切さは「家の手伝い」や「読書」などと同様「ゲーム」や「インターネット」も同じである、という筆者の考え方が、文中でそれらを同列に並べていることからもうかがわれます。
しかし、最近「インターネット依存」に関する報道があったこともあり、お読みになった親御さんのなかには、本人がゲームやインターネットに夢中になっていることが心配でたまらないという方が多いことでしょう。
そこで筆者は、そういう親御さん方に答えるため、今号の最後にふれたように、具体的な対応を次号でお伝えすることにしています。今号が「考え方編」で次号が「対応法編」というわけです。
どうぞ次号をお待ちください。
『ごかいの部屋』201号を読む
今号のコラムは、前々号の最後にふれた「ゲームに熱中しているのを認めてよいのか?」「楽してうまくいくものなのか?」といった疑問に答える第1弾として「学校/社会復帰への努力」という<周囲がやらせたいこと>よりも「本人が今やっていること」すなわち<今のエネルギーでできること>を、何でもいいから認めるべきであることを、タイトルの「易から難へ」にたとえて訴えています。
本人が毎日のようにやっていることの意味とそれを認めることの大切さは「家の手伝い」や「読書」などと同様「ゲーム」や「インターネット」も同じである、という筆者の考え方が、文中でそれらを同列に並べていることからもうかがわれます。
しかし、最近「インターネット依存」に関する報道があったこともあり、お読みになった親御さんのなかには、本人がゲームやインターネットに夢中になっていることが心配でたまらないという方が多いことでしょう。
そこで筆者は、そういう親御さん方に答えるため、今号の最後にふれたように、具体的な対応を次号でお伝えすることにしています。今号が「考え方編」で次号が「対応法編」というわけです。
どうぞ次号をお待ちください。
『ごかいの部屋』201号を読む