夕刻、家に帰ったのだが、家人は出かける様子だし、長男は宿直、娘と末っ子も泊りがけで従姉妹の家に行くという。早めの夕食も独りで食べる羽目になった。午後から娘が調理を頑張ったようでいつもに増して品数が多い。それをぽつんといただく訳だが、味気なく、寂寥の感が募る。
知らず知らず老後の自分を見つめている。昔からひとりで食事を取るのは平気だし、一人でいることもそう苦にはならない。老いたら手がけることが山ほどあり、ひとりで過ごす時間なんてどうと言うことはない…、はずだったが、それは老後という実感が伴わない、元気な間だから高をくくれることで、今日のようにひとりで飯を食う日が続くようだったら、さて、どうだろう。
思えば子どもたちには寂しい思いをさせてきた父親だ。仕事だからと納得させつつ我慢をさせてきた。これからその報いを受けるのだろうか。子どもたちが抱いてきた寂寞の思いを受け止める。自分の咎(とが)をあがなうかのような晩餐だ。
自室の大がかりな掃除をした。年越し以来だが、今日はオーディオのセットアップが目的だ。娘の部屋に預けていた大型スピーカーを取り戻し、設置する。片方を運ぶだけで汗ばんでくる。30センチ級のウーハなんぞもう市販されていないのではないか。それに比べ、アンプやCD、MDプレーヤーの軽くなったこと。DVDプレーヤもセットする。これで寝転びながら映画が観れるし、朝の目覚ましがわりに大音量で音楽が聴ける。リアン・ライムスの「The Rose」なんぞを聴ききながら起きるのもいい。それにしてもオタク度が増してきた。