長男が大量のCDを抱えて教室にやってきた。サーフィンへ行く途中だと言う。
「そのCDって、もしかして…」
「うん、焼いてぇ」
それにしても20枚はあるぞ。
「そのCDって、もしかして…」
「うん、焼いてぇ」
それにしても20枚はあるぞ。
息子の考えはこうだ。これから暑い夏。車で聴こうと思って置きっ放しだと、車内の日中温度は想像もできない温度だ。赤ん坊が死ぬほどの暑さであり、もしかして生卵が温泉卵に化けそうに思えるほどだ。それが分かっていて、高価で、大切な原盤を置き晒にできようか。バックアップであればオリジナルは救われる。
とか、なんとか結局、うまく言い含められてしまったようだ。
最近、気づいたのだが、喋るのが面倒くさいといった風情が消え、積極的に話しかけるようになった。帰宅すると茶の間で妹や弟と語らっている姿を目にすることが多い。哲学めいたことやら、アイデンティティに触れる類のものも少なくない。我が家のペースメーカーになっておるのか、自然と家庭内でのコミュニケーションも活発になっている。
特に長男における芸風が変わったと感じたのは、こんなことがあった時のことだ。流しで滅多にやったことのない洗い物をしていた。このぼくがである。昼食を摂りに来た息子がそれを見て言ったのだ。
「ありがとうなぁ。ええことやなぁ。これからも続けたいなぁ。」
もし、それが
「これからも続けよなぁ」
だったらどうだろう。立派な強制もしくは命令と受け取れる。おそらく、ぼくの対応は、カチンと来るか、そうでなくともいささか気分を害したに違いない。
ところが、
「続けたいなぁ」
であるから、こちらもとっさに、
「そうやなぁ」
と応じた訳だ。
勢いで、
「座布団、一枚!」
と掛け声を上げたくなったが、表現ひとつで人間関係が円滑になるということを教えられたような気がし、息子を育ててくれている職場に思わず頭を下げた。
しかし、最近の若者の音楽の趣味は悪いと思うのだが、そう言っちゃあ学習が足りないか。逆に、オヤジの趣味こそ古いと切り返されそうだ。