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パソコン教室アイラブハイパークラブです。
教室に流れるBGMなどを紹介します。

茶どころ志摩の新茶

2005-05-08 22:35:48 | 音楽
 志摩半島は茶どころでもある。温暖な気候とリアス式海岸特有のなだらかな丘陵が茶の栽培に適している。ぼくの住む鵜方では、大正年間から昭和の初期、緑茶用の木を利用しての紅茶の栽培まで手がけていたらしい。ブランド名を「日の本紅茶」といい、産業振興博覧会で優良国産賞を受けるなど優秀な品質を誇ったという。

 今でも町の人はお茶にはうるさい。古老のお宅にお邪魔すれば、炬燵ではなく鉄茶釜がしゅんしゅんと沸きたつ火鉢の前に案内され、茶道具から煎茶碗まで自慢話をさんざ聞かされながら何杯もいただくことになる。当然トイレの御用が多くなり寒い冬の日などは泣かされる羽目になる。お暇してからも大変なのだ。

 ぼくの祖父が昔お茶の先生だったと聞かされている。道理で古風な茶道具が何組も納戸から出てくる訳だ。遊びざかりに、
「ホタエルなっ」
と、一喝されることが多かったのは、ぼくがヤンチャだったからではなく、掛け軸や黒檀の棚、もろもろの陶器類を壊されたくなかったからに違いないと、あまり茶に対する印象はよろしくないのだが、いただくのは好きである。ときに家人が興に乗れば点ててくれる抹茶は格別のものがあり、茶筌の動きに見惚れるている。食後のお茶、三時のお茶、接客のお茶と、日本茶の持つ深さは限りなく、日本人としての誇りのようなものを意識させてくれる。ただ、作法には無案内で、茶の客としては最低であり、それでも無頓着を通すあたりが哀しくもある。

 今日はN氏が新茶を届けてくれた。このGW中、暑さと毛虫に悩まされながら摘み取ってくれた苦心の賜物である。茶の道にはうとくても、茶摘の労苦が並大抵でないのは知っている。
「ありがとう」
の一言では到底感謝の念はあらわせるものではない。重い気持ちをありがたく頂戴する。茶どころ鵜方でもピンの部類の逸品であり、舌先に覚える妙味は筆舌につくせるものではない。自然と顔が綻んだ。条件反射である。

 古来、町に伝わる茶山節という古謡がある。

お茶の茶の茶の茶の木の本で
お茶も摘まずに色話よ

歌詞は無数にり、本来は高尚で、粋で奥深いものが多い。残念なことにぼくはこれしか覚えていないど阿呆だ。