どうでもいいこと

M野の日々と52文字以上

盛岡私的観光案内 材木町中央通3丁目

2011-11-04 02:03:13 | まち歩き
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材木町です。この町内は少し変わっていて普通は太い道路に挟まれたエリアが材木町なのですが、実はその道路の端に広がっています。これは江戸時代には夕顔瀬橋がもう少し北側にあったことと、南側の旭橋が出来た時の道路で分断されたため。なお手作り豆腐店が見えますが、盛岡は豆腐の消費量が日本一なのだとの事。昔はこういった小さい店がいっぱいあったのですが、最近ではかなり減りました。


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その豆腐店。隣の家との関係がどうだったのだろうか。家を半分に切って土地を売って、その材木で小さい家を造ったとかいろいろ考えられます。



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大きな染物屋さんがあります。南部型染めの店です。昔岩手は紫色の原料だった植物の「むらさき」が特産だったそうです。この店のウリでもあります。



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いわゆる材木町です。土曜日にはよ市が開かれて、近隣の農家やいろんな店が出店します。20年前に、この歩道と道が緩やかなカーブを書くように変更されました。また車が乗り越えるとデコボコする小さな山があったりして、車の速度が出ないようになっています。


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さて夕顔瀬橋から材木町の石垣を見ます。江戸時代から近代まで修理したり積み直したりして今日に至ります。



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下から夕顔瀬橋に近い方、上の方は旭橋に近い方になっています。夕顔瀬橋のすぐそばは橋の工事に伴って、新しくなっていますが、積み方がいろいろあるのが解ります。なんでも旭橋に近くなると石垣が安くなるらしいです。光源社のあたりは一度大きく崩れて新しくなっています。



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通りの間口からしばらくはまっすぐなのですが、途中で家が曲がっています。川に沿った家はほとんどこんな具合にくの字に曲がっています。船着き場の関係なのかもしれません。



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岩泉の高級家具店の純木家具があります。実は材木町に無いものは、材木屋です。新しい会社の事務所はありますが、江戸時代からの会社はありません。昔扱っていたのも、製材されたものだったようです。


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ちょっと空き地が目立ちます。奥に見える古い屋根は、あとで紹介します。



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地ビールのベアレンの店です。ここは昔蕎麦屋のいさみやのあった所。よ市でこの向かいに出店しているうちに、居着いてしまいました。


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有名な光源社。材木町が盛岡でも指折りの観光地なのは、この店があるから。
この店の前だけ歩道がありません。なぜなら道路の改修計画に反対していたから。仙台にも店があるので、この改修計画の問題点をよく知っていたようです。車通りが少なくなって商売がうまく行かなくなるのと、店舗そのものが観光地なのが理由ですが、町内会は改修に大賛成。町内会長から、「ここで300年商売しているのが引っ込むのに、60年しか経っていないのが従わないのか」と恫喝されたそうです。この白壁に墨汁をブチまけられたり散々だったようです。なお昔は棟方志功揮毫の看板が表に出ていたのですが、この頃から出さなくなってしまいました。


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道路改修の折に、道の脇に作られたオブジェが作られました。宮沢賢治の童話にちなんだものです。その中で宮沢賢治像。実は宮沢家に許可を取らずに作ったため、当時存命だった賢治の弟の静六さんが激怒したそうです。以降賢治の肖像を管理する会社が出来ました。ある意味歴史に残る像です。
なお光源社が賢治と関わっていた時代では、前九年に事務所があったので材木町とは関係ないのですが。


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旭橋の交差点です。目の前の土蔵作りの眼科は、昔この斜め向かいにあった眼科の土蔵です。一時期は喫茶店権ギャラリーだったのですが、斜め向かいに移転しました。


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道を渡ります。ここから少しで中央通に町名が変わります。江戸時代の地図を見るとこの辺りに武家屋敷があったようです。盛岡の武家屋敷は大体5カ所に分散してあったので、現在ではその痕跡はほとんど見当たりません。


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ずっと行けば中古カメラやさんが。国産カメラはニコン・キャノンまで、あとはライカしかカメラは無いみたいな親父さんがやってましたがどうなったのでしょうか。オリンパスユーザーだったので、縁のない店でした。


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ちょっと戻って桜城小学校。東屋がモダンです。


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若干のお屋敷とマンションの多い土地です。教会があります。盛岡は教会が多いように感じます。


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北上川に近い所には大きな駐車場があります。また小さい駐車場も増えています。



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うろうろしながら開運橋の方へ一旦出てしまいます。



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まあこの裏通りも家がかなり無くなってきました。ビルの裏側がよく見えます。


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なんかゴチャゴチャした印象のある所です。昭和22年の地図では新築地となっていますので、歴史が無いのでしょうか。



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古くからのおもちゃ屋さんです。宝くじもタバコも売っています。ここ数年パーティグッズに走っています。


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このおもちゃやのショーケースにはいろんな政治家がいます。小泉元首相もいます。小沢一郎はあまり似ていませんがいます。亀井静香もいますが、野田首相がいません。



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開運橋のたもとの自動車や。かなり古いようです。


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桜城小学校そばのビルの脇にひっそりと。どうも日本の近代製鉄の父と言われる人が盛岡出身のようです。これは知らなかった。


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また同じ道を通るのが嫌だから、中央通りに近い裏道を通ります。するとミニ公園が。これは妙に立派。公園には、幼児公園と児童公園、そして公園と区分があるようなのですがこれはいずれ調べてみなくては。



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ソウルバーとかはよくありますが、ロック専門のパブ?です。昔入った事がありますが、ロックこそが青春なのよと叫んでいた人がいたのが印象深かったです。マスターは控えめな人でした。



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元旅館でしょうか。大きな建物です。



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立派な雑居ビルです。建てられた当時、かなりモダンだったでしょうね。キッチリ正面向いてみて気がつきました。



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地価が高い+土地がまとまっていない+建物が老朽化=駐車場。よくある図式です。



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やっぱりあった、廃屋。駅まで5分の物件です。


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町の銭湯が次々と潰れる中がんばっているのが、梅の湯。ビルになって旅館も併設しています。薪で焚く柔らかいお湯が特徴です。本町の銭湯もこの系列のようです。


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材木町の裏側を歩くと、立派な蔵が並んでいます。


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ひときわ立派なのは、楽器店の蔵。確かに昔は楽器店はお金がないと出来なかったでしょう。


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真ん中に大きな寺があります。ここには酒買地蔵があります。丁度正面近くを向いている、山門脇のお堂です。よくある伝説で、地蔵さんが酒を買いにきていたというやつです。6月に大きなお祭りがあります。聞き酒大会もやっています。
今年のこのお祭りで、県内の日本酒の試飲が出来ます。私の感じた今年の傾向は、県南の酒は震災の影響が大きく、よく言えば味乗りが強い、悪く言えばヒネた手前と言った具合。盛岡地区は極めて安定。ただ何となくフレッシュな感じ。そして県北地域は、味が全然変わってどうしたのと言った具合。理由はなんと震災直後の花見自粛モードを批判した二戸の南部美人のYouTube画像がきっかけで、岩手県の酒が売れまくって大変な事になったらしい。特に南部美人は生産が追いつかない状況になったようだ。二戸出身者と何があったんだと思うくらいに味が違っていた。全く味がブレていない蔵があった。西根の鷲の尾だ。震災の影響がほとんどなかったのだが、なぜかこの岩手地酒ブームで取り残されてしまい逆に安定していると、蔵関係者が苦い顔をしていました。



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さて表から屋根しか見えていなかった建物がこれ。多分戦前からあるようだ。前にも紹介した長屋があったが、この関連か。仁王町とかにいくつかこういった建物が残っているので、何か流行があったのかもしれない。


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ちょっとスタイルの違う長屋が隣にあります。間取りが違いそうです。こういった物件は外壁や建具はそのままで、中をキッチリ直すと、若い人が喜びそうな気がします。



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アンティークの店と、漆工房があります。この裏には昔高校のテニスコートがありました。それが今大きなスーパーになっています。



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商人の町らしく、稲荷様があります。元個人宅のもあわせると二つあります。



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とても小さな歯医者さんです。


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さて光源社の中庭です。光源社の作りがこうですから、道路改修で引っ込めなかったのはよくわかる所です。
光源社は材木町商店街の中でも浮いた存在です。まずよ市に反対したらしいです。それをやったら地域の八百屋や魚屋が困るだろう。という事です。実際材木町には「奥様市場」という小さな市場があったのですが、よ市から間もなく消えました。それは土地利用の問題だったのかもしれませんが、影響はあったようです。小さなスーパーががんばっていたのですが、一旦閉店しました。しばらくして大きなスーパーになって戻ってきたのですがその間買い物難民が多かったのは確かです。
道路改修で、明らかに人通りが減りました。その上マンションの建設が多くなり、それこそ土地利用の観点から高級品を扱う店が増えました。そして光源社という観光地を抱えている事もあって、岩手県内の市町村のアンテナショップが一時期増えました。それも今では少なくなってきています。



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材木町があるから光源社があるのか?光源社があるから材木町があるというのが、私の考えです。
材木町はその名の通り、建材中心の町だったのかと言えばそうではないようです。江戸時代に夕顔瀬橋のたもとにあったので川向こうの農産物の集積地でもあったため発展したようです。同じく農産物の集積地だった南の仙北町の規模に比べるとかなり小さいと思います。たまたま盛岡駅が近いがために、地価が高いだけな町でもあると思います。
もしも光源社が材木町に無かったらどうなっていたのかは、解りません。多分今より更にマンション街になっていたのではないのかと思います。
材木町そのものは好きです。きれいにまとまっていますが、一皮めくるとオドロオドロしいところがとても好きです。よ市と光源社は別扱いで取り上げる予定です。