どうでもいいこと

M野の日々と52文字以上

がんばれ朝日新聞

2011-11-12 22:34:33 | インポート
正直な所、社内に科学朝日を抱えていたとは全く思えない朝日新聞だが、やっぱり迷走している。
http://www.asahi.com/national/update/1111/TKY201111110521.html?ref=goo
実はこれは当初から想定されていた事だ。これが現実に観察されたからの報道だ。
解っている事なら、事前調査ができるだろう、特に北関東だったら冬期間の農地の風塵問題をどうするのか取り組んでいる農協もある。そこを踏まえると良い記事になったと思うのだが。
さて今現在最も迷走しているのは、ダイヤモンドオンラインの上杉さんの記事だ。最近こんなのとわかっているだろ~という前提での記事が多すぎる。ちょっともったいない。一旦断筆してみた方が良いかもしれない。
でも朝日に比べればまだいい。
震災以降、単位の間違いだけでも重篤な問題だった。でもたったこの記事は、何も考えていないと証明している。
いまの上杉さんの記事は嫌いだが、それでも個人だから許せる。朝日は組織だからもっとうまくできるはずなのに、何もしていない。それが嫌いだ。
だからがんばって欲しい。
実はこの記事でショックを受けた。冬期間の風散対策は、北関東では検討されていたはずだ。もしかするとそれがないからこの報道なのだろうが?


風評というもの・古層3

2011-11-12 20:52:59 | インポート
ケガレで説明が出来る、この単純さなのだが、どうも人の感情の基本に近いからなのではないのかと考えている。つまり恐怖とか怖れから発生している概念だからだ。特に死はその最大のものだ。だがしかし死の瞬間はだれも解らない。これだけは科学が進んでも解らない。たまに生き返りがあるが、すべての人がそう体験出来るかどうかは解らない。
逆説的に死は、平板なものだ。誰にでも訪れ、予測は出来ない。
ひたすら未知であることが恐怖の根源になっている。
実は単純そうで単純でないのが、放射性物質のケガレになる。既知の物質であるがそれでどうなるのかが未知であることだ。例えばこのタタリ神は、いつ暴れだすか誰にも解らない。セシウムの半減期が30年なのだが、体の中に取り込まれたセシウムが1万個あったとして30年後に5000個に減っているとは限らない。ただ一個のセシウム原子だとそれが30年間に分裂しない確率はないかもしれない。そして核分裂の時のベーター線が遺伝子を破壊する可能性もないかもしれない、しかもガン化するように破壊する可能性これもないかもしれない。
その遺伝子が修復されない可能性。更にはガン化した細胞を免疫機構が殺せなかった場合、そしてそのガンが大きくなる可能性。
そのガンが重要臓器に出来る可能性。さて可能性はどの程度あるのか、これは解らない。
情報が錯綜しているのは未知であるという事だ。まだ確実にどうかとは言えない状況にあると思う。
厄介なタタリ神である。知らない神がタタっても祭れば何とかなる。知っているけど祭り方は誰も知らない、放射性物質はそんなものだ。
さてケガレとすれば、払いの方法があるはずだ。それは物理的な除染ではない。除染は可能だが、あまりもの経費と時間がかかる。現在のすべての山まで除染は物理的に不可能だ。もちろん最近東芝が発表した、移動除染器があったりする。単純に水で流すとかの方法もある。もちろんどこかに移動させる手段だけではなく、ガラス固融化で固定させる方法もある。灰での保存よりは体積が小さくなるし、水中や空気中への拡散は少なくなる。技術的には何とかなるがエネルギーの問題と、祓えに必要なあのあっという間の感覚はない。
ケガレを祓うのだから、そのあっという間の感覚が欲しい。でも科学的なものなのでどうしようもなく遅くなっている。
ケガレのぞく手段は本質的にない。霊ではなく原子だからだ。そしてそれは世界的に普遍化している。もちろん日本にでもだ。
私が考える一番の方法は、ケガレている事をよく知る事だと思う。それも60年代の核実験からの話しであって、今の話しとは違う。思考停止が一番よくない。
しかしケガレはまさしく、思考停止の状態なのだ。


風評というもの・古層2

2011-11-12 02:15:45 | インポート
そもそもケガレとは何かというと、人の生死のはざまにあるもの、なのだろう。古事記ではよくまとめられていると思う。例のイザナギの黄泉下りの話しだ。そこに祓えがある。
妊婦の後産はケガレであった。(妊娠そのものもケガレとするばあいもあるようだ。)家畜の出産もケガレであり、当然死もケガレであった。人の死は最も重いケガレだ。これらを忌む習慣は、平安時代からあるようだ。そしてそのカガレを祓う儀式や祭りが発達した。
若干蛇足だが、私はこのケガレの元になった概念は、神話以前からあったのではないのかと考えている。縄文時代の埋葬で、手足を折られて埋葬しているのがよくある。これらから、死体そのものに何らかの禁忌するものがあったのではないのかと考えている。それが仏教と古事記から別の形で出来たのが、ケガレなのではないのかと思う。
問題は放射性物質とケガレがどこで一致したかだ。これは間違いなく、広島と長崎だろう。原爆で大量に人が死に、生き残った人も多くは突然発症し、急に亡くなってしまった。疫病にみられても仕方がないものがあったが、科学的な見解が流布しても、生き残りの多くは差別されたのだった。
一発の原爆による大量の死、そしてそこで生まれた地獄絵図とその後病にかかった人たちの無惨な死に方、ここからケガレと結びついたのではないのだろうか。そしてケガレた人を禁忌して差別が生まれる。
第五福竜丸の事件もそうだ。放射能は人に移らないと言われていたが、やはり生き残りは差別された。
放射能には、死と病のケガレと認識されたからこその差別だったのではないのか。
そして現在では、放射線による被爆と放射能物質による内部被爆と分けられて考えられているが、これがケガレを厳密化させている可能性もある。あまり私はしらないが、メチル水銀による水俣病やカドミウムによるイタイタイ病にも差別が起きたと聞いている。
霊ならば、宗教的に祓えが出来る。しかしこういった化学物質による祓えは可能なのか。水俣病やイタイタイ病は地域が限定され風土病の認識もあったため、全国的なケガレにはならなかった。しかし基本的には時間による解決しかなかった。
これに対して放射性物質の問題は、全国区だ。水俣の魚を市場に出さなければいい話しだった(しかし水俣の漁民は困窮した)。今回はそれと違い、ありとあらゆるものが東北から全国に流通している。被害も北関東から千葉・茨城・群馬・埼玉、東北は福島・宮城・岩手と広域にまたがる。風評で東北の残る山形・秋田・青森も巻き添えを食らっている。この広域と流通から、全国区になった。
放射性物質のケガレは強烈なイメージしかない。即死だ。髪の毛が抜けて血を吐いて血便が出る病だ。そして癌になって抗がん剤で髪の毛が抜けるのだ。
実は鉢路元経済産業大臣の、「放射能移しちゃう」発言のとき、記者たちが何を問題にしていたのかが実はよく解らなかった。原子単位で100個程度か、と思っていた。これをケガレとすれば、確かに問題がある。逆に死の街発言が、なぜ問題だったのかはよくわかる。死=ケガレ=放射性物質であったからだ。福島で若干の反応があったのもこれだろう。
しかしあまりにも単純に説明出来るのに、不安を覚える。