どうでもいいこと

M野の日々と52文字以上

風評というもの・古層1

2011-11-11 02:36:58 | インポート
放射性物質の問題で、いろいろな風評をみてきた。
まず科学的な知識が余りにも無くて起きている件が多い。花火と橋に至っては論外なほど科学知識が無い。どの程度無いのかと言えば、中学生のレベルだ。これらの件に関しては、行政が判断を放棄しているフシもある。行政は科学的な知識を持って判断していないと思う。法や条例の上で判断出来ないのかもしれないが、住民の意見でと言った場合、まず判断を放棄したのだろう。
これらのやり取りをポストモダン理論で説明は出来る。つまり大きな物語が喪失した状態で、乱立する意見があり、行政はそれを集約出来なくなる。そして行政の判断も、行政がかならずしも正しく情報を収集・分析で来ているかどうか自身でも不安な状態にあり、これらの突発的な案件では思考停止に陥ってしまう。また大きな物語としての原子力神話が崩壊したため、、核物質に対しての両極端な話しばかり出てくるようになる。これもポストモダン的なのだが、とにかく意見ばかりで判断材料が全くない状態になっている。この状態で個人の判断が、先鋭化する現象が起きている。
ここまでは確かにそうなのだが、髙田松原の件なども含めてゆくと違う側面もある。
行政が中止などと判断すれば、10倍返しから100倍返しで、止めた事の抗議が殺到するのだ。これは逆の現象で、大きな物語に回帰しているからこそ起きるのではないのか。つまり被災地に対する同情とか優しさから生まれている可能性がある。もちろんただ単に行政をいじめるためにやっている人もいると思う。
確かに私の理解しているポストモダン理論は、底が浅い。なのでそれらしく語ってみてもどうもすっきりしなくなる。
福島県産の桃が暴落した。これは確かだ。他の福島県産の農産物でも同様だ。しかし風評被害とは言い切れないものがあった。もちろん現在の福島産の農産物は国より厳しい基準で出荷し、更に検出限界以下である場合でも装置の検出限界を明記する事にしている。そしてその結果をネット上で公開している。それでも暴落したのは、セシウムがあるかも知れないという疑問からだった。
この辺は知識が必要なもので今で言うリテラシーの問題なのだが、日本の科学教育が間違っていたとかという意見もあるが、何かが違う。
直感で申し訳ない。私のブログが直感で検証したりするようなものなので、以下は勘弁してもらいたいのだ。
これって、もしかすると日本の古い古い、その日本人の古層が起こしているのではないのか。目に見えない怪しいものが日本を覆っている。この怪しいものを排斥し、無くする事こそが正しい。そういったものは何か。
穢れ思想だ。ケガレを徹底的に払わないと気が済まない。これは汚いとか汚染とかそういった問題ではない。霊的な問題だ。特に放射性物質は今までの公害原因物質に比べ、長期間にわたってタタル物質だと認識されたのだろう。
広島でもそういった差別が起きた。現在でも福島で起きている。
福島の子供が、避難地でいじめられた件などもそうなのだろう。たたりを背負ったものが入る事で地域がたたられる。そういった古層が吹き出しているのだろう。
そういった意味では、最近右翼がおとなしい。もちろん原発推進派だったからかもしれないが、多分日本の古い部分が吹き出している状況では、なんとも出来ないのかもしれない。