どうでもいいこと

M野の日々と52文字以上

カメラマンと写真20

2013-03-18 03:20:37 | 写真の話し
さて久しぶりにブログを更新する。なぜかと言えば仕事が忙しかったからだ。二日間で1800カットスナップ撮影した。正確に言えば二日間のうち9時間でこのカット数だ。今回はこれを使ってグチを書こう。

デジタルの効能なのだが、これをリバーサルフィルムに置き換えると、36枚で現像代込みで2000円程度だから、10万円ほどの経費になる。実際の所高感度が必要な撮影だったので、13万くらいだろうか。これだとニコンだったらD-7100が買える。そう考えれば、デジカメのコストって相当安いと言う事になる。

だが、デジカメ以降撮影価格が暴落しているので、コストダウン効果はイマイチ実感しない。その上に物理的な制約が無くなったので、カット数を要求される事がある。今回なんてまさしくそれだ。とはいっても撮りすぎた。ちょっと追い込まれたフシはある。

さてここまで撮影すると、まずデジカメでも確認が相当難しくなる。まず時間がない。次にだが、別なシャッターチャンスを狙った方が結果がいいと考えているからだ。
だが、もう一つ別な理由がある。老眼が進んで来たのだ。確認するためにはデジカメのあの小さなモニターを見るのだが、ド近眼の私はいちいち眼鏡を外さないと確認出来ない。勢いボンヤリと確認する事になる。最近ではあのモニター恐怖症になっている。重要な時には外してみるのだが、そのワンクッションがかなり苦痛に感じる。

どうも現像するまで解らなかったあの時代があったから、その習性もあると思う。失敗しようが何しようが次に進んでゆくのが当たり前だった時代がある。それがデジカメになってから確認するのが当たり前で、結果は常に最適な露出になっているようにしなければならない、そうなっている。もちろんプロだからミスがないのが前提なのだが、ミスが起きる原因はいっぱいある。スナップでは特にそうだ。照明のフリッカーや人物の目つぶり、そしてなぜかピントが甘いAFの問題イロイロある。


さてカメラマンはいっぱいシャッターを切る。これはなぜなのか。実は第一にミスの問題だ。もちろん本人はミスがない事を前提にシャッターを切っているが、いくらかミスを無くするためにシャッターを切っている部分がある。例えば照明写真何かでも3枚は最低撮るだろう。理由は目つぶりがあるからだ。デジカメでは確認出来るからいらないと言えばいらない。でも3枚は撮る。ちょっとした違いがあるからだ。
人は以外とじっとしていないものだ。

これがコマーシャルになると、その微細な差を追求してゆく事になる。人物なんてその最たるもので、微妙な差がいっぱいある。実はその微妙な差をうまく掴むために、アイドリングみたいなシャッターもある。被写体との波長を合わせるためにあっためるシャッターだ。うまく掴めないときもあるし一発目から掴めるときもある。

シャッターチャンスと言う言葉があるが、あれはそうそうない。むしろどうすれば迎えられるのか、ここが大きい。よく言うシャッターチャンスは偶然撮ったものなのだが、シャッターは予測していないと切れないものなのだ。だから努力する。

スポーツカメラマンでも野球専門の人などはそうだろう。あるピッチャーのスコアを全部把握して癖を見抜くのはもちろん、バッターのそれも解っていないと、コンスタントにバット近くにボールがある映像は撮れない。
それでは秒間8コマとかの連射で撮影すれば良いのでは、普通はそう考える。しかしそれですら予測が必要なのだ。誰でも100分の1秒のタイミングにあわせるのには、8コマでは不十分なのだ。最低30コマだろうか。彼らは8コマのどこかにベストが来るタイミングでシャッターを切っている。これは凄い事なのだ。


さてその野球専門家たちだが、野球はピッチャーが投げてバッターが打って、守備がどうこうして、一旦ゲームが止まる。その瞬間に記者席のカメラマンが一斉にモニターを見始める。本当に一斉に動く。かなり奇妙なのだが、撮れたか撮れていないかを確認しているのだ。そして不要な画像を消してゆく。
理由は即座に配信する事が出来るから、データーは現場で整理しておかないと間に合わないからだ。そのまま放っておけば1000カット以上の写真を確認してから、カットを特定して配信すると言うまだるっこしい話しになる。
さて秒間30コマ切ったらどうなるのか。確認の時間が無くなる。量が多すぎる。


1000カットの写真の確認にはどれだけの時間がかかるだろうか。ブラウザーソフトでざっくり確認する場合は割と早い。ただピントの確認とかイマイチ遅い。おまけにゴミ箱に送る操作が出来たり出来なかったりする。なので結局フォトショップで確認している。
これが苦痛だ。大体1時間あたり150カットから200カット確認出来れば良い。
確認は大切だ。いろいろ反省するのだ。その時私はこうでああで、カメラはああでそうで、被写体には文句付けられないけど、確認しつつ自分の技を反省する、そういった作業だ。

だがこれが量が多いとウンザリする。もちろん私がダメだからなのだが、1800枚見ると途中で反省も何も投げでしたくなる。一日目の午前中で600カット。心が折れそうになった。

しかし自分で選択して撮影しているのだから、心が折れる事はあるはずがない。普通はそうだ。フィルムの時代は直接ルーペで覗いて、確認していたものだ。なんと言おうか、あれは過去の自分、だから小さい。今から思えばそういった所がある。小さい方が客観的な判断がしやすかったのだろう。同じカット数だったら、アナログの方が集中して短時間で見れた。1800カットだったら2時間だろう。

しかしデジタルになってから、どうもファイルの開く時間も問題だし、ファイルどうしの比較する作業が煩雑になっている。だがもっと変な話しがある。

ルーペで覗くと言うのは主体的でないと出来ない。だがモニター上で見ると主体が無くなって、自分の悪い所ばかり目についてしまう。画像が大きいから欠点も見えやすいし、ピントなんて被写体ぶれなのかAFのミスか、手ぶれか簡単に分析出来てしまう。

そしてそういった分析ばっかりしがちになってしまう。良い写真かどうかなんてそっちのけになってしまう。技術的な改善はいくらでも出来ると思うが、1800カットを見ると、どうも感覚が麻痺してくる。

そもそも自分の撮った写真だから、自家中毒状況になってしまう。今回はおしなべてアンダーな露出になった。それは狙っていたのだが、これはこれでちょっと違うよと感じている自分もいたり、こことここがあれであれがとか、もの凄い悩みが起きる。そこで寄り道をしたりイロイロあるのだが、今回は1キロウロウロとダイエーネタでごまかしつつ、何とかなった。


そもそもその写真の量に圧倒されてしまう。見ようとするだけで覚悟がいる。見たら見たで時間ばかりかかる。

9時間で1800カットは、止めた方がいい。今回の反省だ。

とはいえカメラマンだからでしょうか、ウロウロしつつも本年度の寒さによる道路の痛み具合を撮影してきました。