どうでもいいこと

M野の日々と52文字以上

8月3日のさんさ踊りはそりゃないだろう

2015-08-03 23:07:13 | 日記

 

さんさ踊り3日目、問題の日である。企業はさんさ祭りを広告と思っていないのでこの平日に集中する。その上8月2日にエントリーしていた盛岡大学をあえて8月3日に押し込んで盛岡大学・岩手県立大学・岩手大学を最終組に組み込んだ。その上盛岡誠桜高校を3日に組み込み、4強対決となったわけだ。

実はこのうち3つの大学が最優秀賞を取る率が高い。理由は練習時間が取れるからだ。その上若いから踊りも太鼓も上達が早い。長年やっているからでは勝てないところがある。そう、さんさ祭りの踊りや太鼓は簡易型になっている。伝統さんさのような芸の深みはなかなか出にくい。その上さんさ祭りに出場する団体はそんなに練習時間を取れない。個人練習にしてもそんなにできるものではない。そうなると大学と日程がぶつかった団体は最優秀賞は諦める状態になる。当然それには不満がある。

ただそれでも常勝盛岡大学にも問題がある。少し独自発展しすぎてリズムが早いのだ。なので盛岡大学の前後からは苦情が来るわけだ。リズムが混乱する。おかげでうちらはパフォーマンス賞も取れないバラバラの演技になってしまったと。あんまりにもメイクが派手すぎて子供が怖いと泣いた年もあった。その年はさすがに最優秀は逃した。

 

 

このタクシーのラッピングをやったのが、三田商店だというので驚いた。確かにそういった部門はあるはずなのだが。そして最近ガラス入れ替え工事で三田商店が入っていたのを目撃したが、三田商店というのは一体なのを取り扱っているのか本当によくわからない。BtoBの商社なのはわかっているつもりなのだが。

珍しく止まっていたので撮った。毘沙門天がイケメンすぎると思うのは私だけだろうか。

 

 

さてさんさ踊りが始まった。まず初めから言っておこう。8月3日の最優秀賞は岩手県立大学だった。

まずパレード以前に岩手大学は、「祭りを楽しみます」モードに突入していた。そもそも彼らは争う意味を感じていない。ここ数年特にそうだ。それでも勝つのは外人枠と若さだけだ。

それでは盛岡大学は傾向と対策はしっかりと抑えた。独自のリズムは譲らなかったがメイクや衣装は抑えめにして統一感を徹底した。いや本当に彼らが徹底したのですよ。自衛隊ほどではないけど。それがなんで県立大に負けたのかは全くわからない。

 

 

ガンライザー発見。以外と細いなというのが感想。股間に何を入れているのだろうか気になる。

ネイガーのアラゲ丸を見たくなった。全く真逆の中に入る人からデザインされた稀有なものだ。

 

 

さんさ踊りで優秀賞以上を取ろうと思ったら、確実に人数が必要だ。これは間違いがない。100人程度いないとパレードの中では埋もれてしまうからだ。その上ギネス記録以降参加団体と人数が増えてしまった。おまけに大学なんぞに参加を要請したのが、企業や団体と齟齬を起こすとは全く考えていない無邪気さが運営にあったと思う。そうギネスのため。そのあとに何が起きるかなんて彼らは知らないのだろう。

 

 

とはいえ県立大の踊り手は可愛い。これは間違いがない。

だがここで一つだけ黒い噂がある。ミスさんさはお手つきだらけだという話だ。一応公募だからいい子が入っている。だけど多数はそうではないという話だ。ある人は確信を持って言い放った「あいつが通っている店の子だろう、それだけではない」そう言い切る。

真面目に納得がいかない。盛岡大学の何がダメだったのか。まるで消去法のように選ばれた県立大はどうなのか。一体何が基準で最優秀なのか?それが毎年変わる基準っておかしいだろう。そう行動障害の私が言ってもどうしようもないのだが、かなりいい加減な審査なのは間違いがない。

 

 

この祭りはいい祭りだと思う。でも参加する人のものになっていないという欠陥がある。そこには裏の何かがありそうでそこのいやらしさが垣間見えるというのが、後味の悪い結果だ。だがもっとてひどいことになりそうな団体がある。

8月2日の最優秀賞を取ったイオンだ。盛岡大学がいるから賞を取れない団体は幾つかあるが、イオンもそうだ。それがバッティングするから頂上決戦という形で無理やり盛岡大学を3日に押し込んだのではないのか、そう疑問が起きる。

そして観光として最適化されたプログラムに成っていない。見所を用意する気もないようだ。8月2日に盛大が最後なら、確実に盛り上がった祭りだ。それをなぜ壊すのかがわからない。しかも3日はギネス記録を狙っているならともかくもそういった広報はない。

この3日はこの団体数から遅延が起きる可能性があった。だがなんとスケジュールを20分以上、いや30分は短縮できた。やればできるということではない。パレードの間隔が短くなり音が聞き取れなくなりリズムが合わなくなりやすい。前後に影響されるからだ。そして早足のさんさになり高齢化の進んでいる地域団体からどうにかしてくれと言われているはずだ。

結局ギネスを目指した結果参加人数が増えすぎて、運営がどうしようもなくなったのを速度別で参加者に押し付けて、それじゃあ若いのが有利になるのをにそれを喜んで大多数を置いてけぼりにしたのを解決したんだが、今更どうなんだ。

確実に言えることなのだが、商工会議所の祭りからどうやって参加者の祭りにするべきか考えないといけないだろう。そしてそれがまた感じられないというのは残念なことだ。

 

 

あの巨大な照明灯は、10分で畳まれた。自衛隊ですね。ただこれもまた訓練の一環というのが垣間見れるのも自衛隊。うまくいかなくてモタモタしても確実に作業は終わった。

今回のようなことを起こさないためには、賞をなくするのが一番いい。祭りに変な争いがない方がいい。そしてさんさ踊りは門付け芸だったというのがある。それを改良したのが現在のさんさだが、歴史が浅く多分それが理由で為政者が軽んじていた所がある。その流れがある。

ただ商工会議所としてはインセンティブを与えないと参加者が減るのではないのかと未だもって危惧しているようだ。そしてこのような災い、若くて地域に根付かない人たちを招いたことはわかっていないようだ。

ギネスをやめなさい。最優秀賞なんて賞もやめるべきだ。賞をやめたら誰もが参加しないと思っているわけはないと思うが、インセンティブが必要なら4日間の中での最優秀賞を出すべきだ。評価基準はアバウトなポイント制になっていると思うので、その集計で十分だろう。だいたい4日間でこれだけムラのある出演者で、クジ運とも言えないくじ運では可哀想すぎる。

だがら最優秀賞は一回出場の4日のなかでのポイント1位、もしも同じポイントが並んだ時には同率2位、最優秀賞は欠番にする。

そして名前も変える。最優秀賞は言葉として甘い。さんさ賞でいいだろう。格上の賞を用意する。

ただ私は賞というのは否定したい。そもそも門付け芸だったものをうまくやっただけに過ぎないさんさだが、まだ38年目だということだ。まださんさが嫌いな人はいっぱいいる。そこをどう取り込められるのかは、賞ではもう無理になっているのだ。

500人の大学生が最終組になり、輪踊りはきたぎん前後に入ることになった。当然スペースは足りない。そして観光客向けのスペースを商工会議所は設けて輪踊りをしていたが、えらく排他的な匂いを醸し出して、大学生を追い出していたように感じる。それは当然だろう。

彼らは盛岡出身でも盛岡に住んでいても異分子扱いだからだ。だから運営も都合よく扱うのだろう。クソッタレと言いたい。


劇団よしこの「楽屋」をみたり盛岡リゾート

2015-08-03 01:15:14 | 日記

 

劇団よしこの「楽屋」を見てきた。いい芝居だった。清水邦夫氏の本、日本で一番累計上演回数の多い本、でも有名だ。経歴を見る限りアングラ系ではないのだが、非常に凝った本になっている。台詞の半分以上が他の戯曲からの引用になっているし、そのうち3分の2がチェーホフの「かもめ」と「三人姉妹」であり、この戯曲のテーマそのものになっている。かもめからの引用で、「私はかもめ」「私は女優」が交錯する第4幕のせりふは出演者全員に言わせる。それでいて重要なせりふの「大切なのは名誉でもなければ成功でもなく、また私がかつて夢見ていたようなものでもなくて、ただ一つ、耐え忍ぶ力なのよ。私は信じているからつらいこともないし、自分の使命を思えば人生もこわくないわ。」というのは精神病院から抜け出してきた大女優付きのプロンプターだけに言わせている。

この反語的なせりふは全て大女優に言わせる。「蓄積」「吠える」あたりの言葉で表される、「耐え忍ぶ」とは逆の攻撃性の高い長台詞は鬼気迫るものだ。

そしてどの楽屋にも幽霊がいるというのは多分本当のことなのだが、それを舞台で書いてしまっている。幽界と顕界が同居した状況で芝居が進行している。イントロがそのカオスを宣言している上で、精神科に入院していたプロンプターが死ぬことで幽界だけの芝居が現れる。するとそこに現れるのは「三人姉妹」なのだ。その最後の台詞となる。働いて生き抜く、この長い時間を、その宣言を幽霊がする。

幽霊が現世的な執着を見せる。ものすごく切ないのだ。


で、なぜ杉土手にいるかって?都南のプールで泳いで、そこからでも間に合うということだ。写真は下りの普通列車が通り過ぎたら、上りの貨物列車が通り過ぎ、下の新幹線がきちゃったので喜んでしまった結果だ。



しかし都南のプールは穴場すぎる。真面目な練習には向かないが、それでは私の技量はといえばどうしようもないものなので、多少浅いがここで十分だ。むしろ張り詰めたような総合プールよりは新たな発見があるような気がする。のんびりとした空間が大切なのだ。仙北町のラーメン屋に総合プールのインストラクターが並んでいた。今日は水球の大会があるから彼らは暇なようだ。皆んなで来たようだ。水泳のインストラクターは結構過酷だ。水の中だと体温を奪われる。立ちっぱなしでも結構エネルギーを消費してしまうからまあ仕方がないか。

都南のプールでなぜ水球の大会をしないかといえば、2基ある浄化槽のうち一基が、インターハイで使ったきりあんまりにも使わないので、放置されっぱなしで動かなくなってしまったからだ。修理するより水球で使わないほうが良いとなった。

インターハイ一回で、何千万かが消えてしまったことになる。



話は唐突に芝居に戻る。

こんなに合理的に作られているのにこんなにめんどくさい芝居はない。70年代的教養は今現在ない。だがこの本には現代性がある。そしてチェーホフの普遍性がある。だがそれらをどう伝えようかとなれば、役者ということになる。えらく難しい。客にわからない引用だらけだし、大女優以外はプロンプターという役目になっている。その意味すらもわからないお客にどう伝えればいいのか。

ものすごかった。市民演劇ではまずあり得ないほどの技術、そして沈黙の演技。その彼女らの執念を表現しきって見せていた。

だが玄人すぎたかもしれない。隣の客は寝てしまった。ただ後半はさすがに気を感じたか起きていた。



岩手国体の花を植えるプランターのシールだが、そばっちの育てている植物が不気味すぎてたまらない。アフリカンマリーゴールドとサルビアだろうと思うが、ナゾの海洋生物のようにも見える。

まったく関係ないが、弘前大学教育学部の特別支援教育の松本教授が、自閉症スペクトラムの症状を持つ子は方言を話さない傾向にあるという研究発表をした。最初は秋田・青森での調査だったが、京都・高知・鹿児島でも同様だという。

私、津軽弁苦手なんですけど、やっぱりそうか。



いなだ珈琲に寄ると演劇関係者が多かった。立地からすればそうだな。

瞬間湯沸かし器のシャワーが壊れたので黒石野のホーマックに行く。道路が濡れていたので、こちらでは雨が降ったようだ。そして買い物を済ませて店を出ると一気に雨が来た。ウチのほうでも雨が降ればいいなと思いながら、今日25キロ以上自転車で移動していることに気がつく。



そして晴れ間が出た。家に戻るとやはり近所には雨が来なかったようだ。