どうでもいいこと

M野の日々と52文字以上

体が痛い

2015-08-27 22:23:21 | 日記

 

家に引きこもるのはどうかと、外に出た。

 

 

 ところが何も用がない。

 

 

何もないというのは最悪だと思う。なので岩手マッサージセンターに行く。残念ながらいつもの人はすんでの差でとられてしまった。全盲の女性がついたが、女性は指が細くて逆に痛い。痛い痛いと言っているうちに手のひらマッサージにしてくれた。そのせいか全部終わるのに10分ほど長めにかかってしまった。

 

 

ついでに、菜園の新いジェラード「DERLL'ORTO」に行ったことだろうか。とても美味しかった。甘さとても控えめ、素材感たっぷりでいい。とても濃い味だ。

そこの好き嫌いはあるだろう。残念ながらコーヒーはない。

 

 

 

そしてようやく喫茶「米山」にゆく。T老人が来たと言っていた。T老人とは以前書いた私と喧嘩になった人だ。あの3つの話を同時に話して、帰着点が平凡すぎる人だ。やはりそのようだったらしい。何か一生懸命伝えようとしているのだが、適当にウンウン頷いていたら、「わかってるのか!」と言われて「わかりません!」と言ってしまったらしい。そこで帰っていったようだ。米山曰く、「口がチュッチュと鳴っていて、なんかこの空間にキスされているようで気持ち悪かった」そうな。そう言えばそういった癖があった。

T老人だが、私が知る限りでもHM町の喫茶店と焼き鳥屋で出禁をくらい、H町の喫茶Dで出禁をくらい、S山町の飲み屋3軒から出禁を食らってしまった。まあその前にcafe302で同席になった女性のお客さんをいきなり写真に撮り始めてしまったというところが完全なまちがいだったろう。当然福井氏は怒る。そして出禁になったと思うが、彼の情報発信能力はすごい。

結果的にただでさえ狭い盛岡で、超要注意人物になってしまっている。そのせいか出禁になるスピードが加速しているし本人もエスカレートしているようだ。

米山も私も昔会ったことがあるようだ。それぞれくどいが悪い印象ではなかった。だが今何でこうなってしまったのかと考えると、少し可哀想に思える。ただもう2度とは会いたくないが。


最近一時停止しない車が増えたような気がした

2015-08-27 14:48:26 | 日記

 

最近一時停止しない車が増えたような気がしている。特に幹線で歩道がついている交差点で、支線からいきなり歩道を通り過ぎて車道ギリギリで一時停止するのだ。場合によってはそのまんまスピードも落とさずに左折なり右折してしまう。道路を渡ろうとする歩行者がいないことを前提にした運転はどうなのだろうか。

結構危険な目にあっているのだが、何か多いように感じる。なおこういったことに関しては、女性や老人に多いのだろうと考える人は多いと思う。今までの経験から、男女差と年齢差はないと思う。むしろ営業車やタクシーが目立つ。年を取ったタクシー運転手なんてかなり乱暴な人が多い。

とはいっても車の全体で、10%以下だろう。そんな乱暴な人は。

 

 

そこでよくこんなことが起きる場所を観察してみると、一時停止線が消えているところが多いのに気がついた。一時停止線がないから止まらないのだと考えれば、納得だ。信号があるところでもボロボロになった一時停止線を良く見かける。

とはいえ停止線でなぜ止まらなければいけないのか、もしくは徐行しなければいけないのかといえば、交差点というものが危険だから。歩行者や自転車が飛び出してくるかもしれないし、急に左折してきた車とぶつかるかもしれない。一時停止線の位置はその事故防止のために設計されている。

交通法規だけではなく、人に危害を加える可能性のある行動は慎むというモラルの問題だ。ただそういったモラルも時代とともに変わってゆく。以前はヘッドライトは対向車などがあるときにはハイビームからロービームに切り替えましょうと言われていたのが、今では常にハイビームにしましょうとなった。こちらの方が事故防止に役立つという。確かにロービームからハイビームに切り変えた瞬間とかその逆のときは、目の慣れる時間が必要だ。その間に事故が起きやすいという。だが車同士では、眩しいとブツブツ文句言っているのを良く聞く。たまに強いライトに変えている車なんてあると、ブツブツは怒りに変わる。

とはいえ一時停止、もしくは最徐行にしない風潮はなんなのだろうか。

 

 

人は自分の都合のいいように物事を解釈する。停止線が消えていれば停止する義務はない。急いでいるのだし交通量も少ないし、今は夜だ。誰も見ていないし居ない。そう勝手に思い込んでいるのだろう。ただそこにモラルというのがあればそんなことはしない。

それではモラルの欠如だけがそういった行動に走らせるのだろうか。

 

 

もう一つ大きな理由がありそうだ。アイドリングストップの普及だ。一時停止してすぐに徐行に切り替えないとエンジンが止まってしまう。これは煩わしいし、すぐに動くとはわかっていても多少焦る。そうアイドリングストップして再び動くまでのセルモーターの音が、無限に続くように感じてしまう。後続車もいるしと焦りまくる。真面目に一時停止した車の運転手の顔にはっきりと書いている。左折するタイミングに失敗した…そう書いているときもある。

これが大きいと思う。

 

 

一時停止でなくとも最徐行くらいにすればいいのに、それすらもできないほど焦っているのだろうか。まあその前に、法的根拠を示すために一時停止線が消えている状況をなんとかするべきだろう。多少の抑止力はある。

夜になれば、国道4号でも46号でも頻繁に見られる。日中でもたまに見る。最近行動範囲が妙に広くなったせいか、気になっている。

まだ死にたくはない。

 

 

PS 前潟イオンの近く。国道4号と接続している左折のみの所だが、一時停止線は完全に消えている。これでは車はギリギリでしか止まらない。以外と交通量もこの辺りにしてはある。幸い歩道から見通しがイイので事故がないだけで、深夜なんか一時停止なしで左折なんて良く見る。稀にだが、一時停止線のありそうな所から最徐行で入る人もいる。

夜9時以降の前潟イオン近辺の裏道そのものが、だいたいにして危険なのだが。


暑ければ文句をいい

2015-08-27 01:22:45 | 日記

 

夏の終わった感が漂う今日この頃です。週間予報を見ても月間予報が外れているような感じです。もう2回は屋外プールで泳ぎたいものですが、どうもかなわないような気がします。そもそも水温も恐ろしいことになっているでしょうし、晴れの日が何日あるのかもわかりません。

大体台風が通り過ぎたのに、南風が吹き込みません。台風も午前中に温帯低気圧に変わりました。寒気が吹きこんでいるということです。

ということでまた泳ぎに行きます。もうそろそろ今年の夏の成果を出さなければいけません。追い込みモードです。だがキツイ。腕がもげそうです。100メートルインターバルで10本なんてかなりキツイ。今日はあまりもの辛さに後半を調整と称して、ゆっくりとフォームチェックをしたりしましたが、1500メートルだけで、腕がパンパンになってしまいました。

だから屋内って嫌なんですよ。なんか目的とか明快でないといけない気になってしまう。屋外はその点そもそも気分がいい。そして休んでいても何か悪いことをしている気にならない。しかし屋内で本を読みながら休むとかは考えられない。ストレッチをするとか、プールサイドにも目的が要求されているような気がする。とはいえそれに少し慣らさないといけない。

途中の無人販売所だが、持ち去りが多いのだろうか。なかなか凝った警告が並んでいた。ただここの無人販売所には、どうも魅力的な品物がないし展示も包装も少し雑だ。無人販売での信用取引だからこそ、お金を払いたいという商品が必要なのではないのかと思う。その上近くのデイリーヤマザキの産直が少し量は減るが同じ値段でキチンとしている。エアコンも入って野菜の鮮度もそれなりになっている。鮮度を維持できないなら量で勝負というのが正しいだろう。

そしてなのだが、広い駐車場の脇に数件の農家が共同で作ったものなのだが、その利便性が仇になっている。車で来てササっと取って走って逃げればいいだけだ。そして東西の走る道路に背を向けて立っているので、道路から見られているという意識も薄まる。さらに朝日が当たるので野菜の箱にタオルをかぶせるなどして見えにくくしているのがさらに悪い。持ち去る側としては最初っから隠してあるものだから商品ではないのだ。

どうしてそんな場所に産直を作ったのかと逆に疑問に思う。

 

 

この前「FAT」とかいたTシャツを作ってしまおうかと思ったら、同名のブランドがあった。いや塗装屋の職人さんが着ていて、太った方ではなかったが、ハァ?と思った。少し調べたら簡単に出てきた。エフエーティと発音するらしいブランドなのだが、アメリカのスラングでかっこいいという意味になるらしい。少しよくわからない。HOTとCOOLのように、旧世代が暑苦しいくホットすぎるから、クールで行こうぜということの逆らしい。クールだって?ハァ?そんな年代じゃネェよ!時代は変わったんだ!そういったノリのようだ。一応ブランド紹介文を削って引用しようか。短い削除と改ざんについては中略は外した。

「FAT(エフ エイ ティー)の語源であるFAT(この場合はファット)とは、英語圏でのスラング、「COOL」「DOPE」といった言葉とほぼ同様にですが、ここではスタッフのフィルターを通じて、中略 基本的なラインは大胆で無骨な「クラシックなアメリカンカジュアル」の影響を受け、そこに繊細でひねりの効いた日本人的な発想、アイデアをミックスすることで、都会的で、遊びの効いた、日常的カジュアルウェアを展開しています。 中略 ブランド名でもあるFAT(XL)を標準サイズに設定し、中略 だからこそムダだと思われる部分、また古臭い匂いを感じさせる部分を必ずエッセンスとして取り入れて、流行をある意味で意識しない物づくりを心がけています。」

とはいえ日本ブランドなんですね。アメリカンブランドの「XLARGE」みたいに、いつの間にか型がスリムになっていたということがないように。

 

 

寒くなってきたので、シューベルトやシューマンの交響曲を聴いている。だがこの二人の交響曲が何番だろうが区別がよくわからない。どうも主題が違うだけで構成が似ているのだろう。それでもそれでも聴いてゆくのだが、記憶に残らない。だからこそなのだろうが、この二人の交響曲は演奏が難しいらしい。

ただよくわかるのは、メロディメーカ的な人物は交響曲という枠に対して盛り込みすぎる。だから分かりにくくなる。逆にベートーベンのように主題が一音とかにして構造だけで音楽を作る作家の方が印象に残る。だから現代音楽は構造にこだわったわけだ。フランスでは構造にこだわった挙句シャンソン大好きというのが仇になった。ダンディなんてその最たるものだろう。長すぎるメロディラインを形にぶち込んだためどうでもいい許育になってしまった。その構造を壊してしまったドビッシーはその点で改革者なのだが、それでは彼のオペラは記憶に残りやすいかといえば多分ない。ラヴェルはその点構造の作家だった。そしてメロディメーカではない。

この2律背反はなんとも言えない。

 

 

今日は来年度の盛岡市内の公営プール運営予測を少し聞けた。水泳競技が9月4日から11日まで行われるのだが、その前に水を入れ替える予定と聞いた。つまり総合プールはお盆過ぎから閉鎖される可能性がある。施設点検もするとなれば2週間かかるだろう。つまりトップシーズンを無にするわけだ。来年は飛び込み台から落っこちられなくなる可能性がとても高い。その上各種大会も水を落とす前に行われるので、6月中旬あたりから、総合プールは一般開放日がかなり減ることが予想されている。

これに対して都南のプールの公開日の延長で対応するようだ。だが都南のプールは水深の問題もある。浅いのだ。そしてホビーユースだからコース設定がしにくい。総合プールのユーザーが移ったとしたら、面積的に足りない可能性もある。ホビーユーズとの共存がどうできるかだ。

まあ一番心配しているのは、お客さんが減ることだ。プールが休みばかりで泳がなくなってそのまんまという人が増えるとなると利用客が減る可能性しかない。公共施設とはいえ利用率が下がると維持管理が難しい。

来年は泳げなくなるというのは寂しい。