夏の終わった感が漂う今日この頃です。週間予報を見ても月間予報が外れているような感じです。もう2回は屋外プールで泳ぎたいものですが、どうもかなわないような気がします。そもそも水温も恐ろしいことになっているでしょうし、晴れの日が何日あるのかもわかりません。
大体台風が通り過ぎたのに、南風が吹き込みません。台風も午前中に温帯低気圧に変わりました。寒気が吹きこんでいるということです。
ということでまた泳ぎに行きます。もうそろそろ今年の夏の成果を出さなければいけません。追い込みモードです。だがキツイ。腕がもげそうです。100メートルインターバルで10本なんてかなりキツイ。今日はあまりもの辛さに後半を調整と称して、ゆっくりとフォームチェックをしたりしましたが、1500メートルだけで、腕がパンパンになってしまいました。
だから屋内って嫌なんですよ。なんか目的とか明快でないといけない気になってしまう。屋外はその点そもそも気分がいい。そして休んでいても何か悪いことをしている気にならない。しかし屋内で本を読みながら休むとかは考えられない。ストレッチをするとか、プールサイドにも目的が要求されているような気がする。とはいえそれに少し慣らさないといけない。
途中の無人販売所だが、持ち去りが多いのだろうか。なかなか凝った警告が並んでいた。ただここの無人販売所には、どうも魅力的な品物がないし展示も包装も少し雑だ。無人販売での信用取引だからこそ、お金を払いたいという商品が必要なのではないのかと思う。その上近くのデイリーヤマザキの産直が少し量は減るが同じ値段でキチンとしている。エアコンも入って野菜の鮮度もそれなりになっている。鮮度を維持できないなら量で勝負というのが正しいだろう。
そしてなのだが、広い駐車場の脇に数件の農家が共同で作ったものなのだが、その利便性が仇になっている。車で来てササっと取って走って逃げればいいだけだ。そして東西の走る道路に背を向けて立っているので、道路から見られているという意識も薄まる。さらに朝日が当たるので野菜の箱にタオルをかぶせるなどして見えにくくしているのがさらに悪い。持ち去る側としては最初っから隠してあるものだから商品ではないのだ。
どうしてそんな場所に産直を作ったのかと逆に疑問に思う。
この前「FAT」とかいたTシャツを作ってしまおうかと思ったら、同名のブランドがあった。いや塗装屋の職人さんが着ていて、太った方ではなかったが、ハァ?と思った。少し調べたら簡単に出てきた。エフエーティと発音するらしいブランドなのだが、アメリカのスラングでかっこいいという意味になるらしい。少しよくわからない。HOTとCOOLのように、旧世代が暑苦しいくホットすぎるから、クールで行こうぜということの逆らしい。クールだって?ハァ?そんな年代じゃネェよ!時代は変わったんだ!そういったノリのようだ。一応ブランド紹介文を削って引用しようか。短い削除と改ざんについては中略は外した。
「FAT(エフ エイ ティー)の語源であるFAT(この場合はファット)とは、英語圏でのスラング、「COOL」「DOPE」といった言葉とほぼ同様にですが、ここではスタッフのフィルターを通じて、中略 基本的なラインは大胆で無骨な「クラシックなアメリカンカジュアル」の影響を受け、そこに繊細でひねりの効いた日本人的な発想、アイデアをミックスすることで、都会的で、遊びの効いた、日常的カジュアルウェアを展開しています。 中略 ブランド名でもあるFAT(XL)を標準サイズに設定し、中略 だからこそムダだと思われる部分、また古臭い匂いを感じさせる部分を必ずエッセンスとして取り入れて、流行をある意味で意識しない物づくりを心がけています。」
とはいえ日本ブランドなんですね。アメリカンブランドの「XLARGE」みたいに、いつの間にか型がスリムになっていたということがないように。
寒くなってきたので、シューベルトやシューマンの交響曲を聴いている。だがこの二人の交響曲が何番だろうが区別がよくわからない。どうも主題が違うだけで構成が似ているのだろう。それでもそれでも聴いてゆくのだが、記憶に残らない。だからこそなのだろうが、この二人の交響曲は演奏が難しいらしい。
ただよくわかるのは、メロディメーカ的な人物は交響曲という枠に対して盛り込みすぎる。だから分かりにくくなる。逆にベートーベンのように主題が一音とかにして構造だけで音楽を作る作家の方が印象に残る。だから現代音楽は構造にこだわったわけだ。フランスでは構造にこだわった挙句シャンソン大好きというのが仇になった。ダンディなんてその最たるものだろう。長すぎるメロディラインを形にぶち込んだためどうでもいい許育になってしまった。その構造を壊してしまったドビッシーはその点で改革者なのだが、それでは彼のオペラは記憶に残りやすいかといえば多分ない。ラヴェルはその点構造の作家だった。そしてメロディメーカではない。
この2律背反はなんとも言えない。
今日は来年度の盛岡市内の公営プール運営予測を少し聞けた。水泳競技が9月4日から11日まで行われるのだが、その前に水を入れ替える予定と聞いた。つまり総合プールはお盆過ぎから閉鎖される可能性がある。施設点検もするとなれば2週間かかるだろう。つまりトップシーズンを無にするわけだ。来年は飛び込み台から落っこちられなくなる可能性がとても高い。その上各種大会も水を落とす前に行われるので、6月中旬あたりから、総合プールは一般開放日がかなり減ることが予想されている。
これに対して都南のプールの公開日の延長で対応するようだ。だが都南のプールは水深の問題もある。浅いのだ。そしてホビーユースだからコース設定がしにくい。総合プールのユーザーが移ったとしたら、面積的に足りない可能性もある。ホビーユーズとの共存がどうできるかだ。
まあ一番心配しているのは、お客さんが減ることだ。プールが休みばかりで泳がなくなってそのまんまという人が増えるとなると利用客が減る可能性しかない。公共施設とはいえ利用率が下がると維持管理が難しい。
来年は泳げなくなるというのは寂しい。