シルバーウイーク最後の日も好天だった。昼過ぎから泳ぎに行くか散歩に行くかと思って、ラジオをかけた。「今日は一日ラジオドラマ三昧」という三昧シリーズのうち多分一番マニアックな特集だった。こんなの誰聞くのかいと思って聞いていたら、あっという間に虜になってしまった。
しかし買い物にも出たい。天気もいいから外にも出たい。ということで、鮭がきているかどうかを中津川に見に行く。
まあNHKしかないのは仕方がない。だがもっと凄まじいのはNHKですら80年以前のラジオドラマ録音が残っていないものがある。例えば君の名はなどの名作は多少残っているだろうし、芸術祭に出品したものとかは残っているだろう。それ以外はほとんどないようだ。なので民間に残ったカセットテープとかを集めてアーカイブしようとしているようだ。ということは民放はどうなるのかといえば想像できる。
どうもこれもまた上流から流れてきたコルチカムのようだ。昔アンデスのインディオが西洋人からの圧政から逃れようと、齧って病気になったり死んだりした。
鮭はまだ遡上してきていないようだ。
まあ一発目の矢作俊彦作「死ぬのは手頃な日」なんて主演が宇崎竜童・蜷川有紀だったり、前田武彦作「ぼくのまわりで楽しい音が」はミッキーカーティス、音楽は服部克久。谷川俊太郎作「10円玉」は伊藤幸子に音楽は湯浅譲二、名作今江祥智作「優しさごっこ」では林光の音楽でなんと本人の弾き語りだ。
返す返すも残念なのはつかこうへい作の「ポッタクリ・ソング」は録音しておくべきだった。何しろ「生涯」の原作だった。そのあとは「カムイ外伝」。最後の方を少し聞けた。
どうしよう、知らない作品しかないのに引き込まれる引き込まれる。つまり名作ばかりなのだ。
井上ひさし作「グランドマンガミュージカル『ブンとフン』」は名作すぎた。音楽宇野誠一郎、メインは黒柳徹子と朝倉一雄と名優しかいない。いや凄い。その後「それからのブンとフン」と戯曲化され、その後「吉里吉里人」につながる作品らしい。
とにかくこれは凄い。録音し損ねた!
次が飯沢匡作「ピアノ物語」、音楽三木鶏郎、演出山口淳、出演が榎本健一と古川緑波だ。もう言うことない。
「ピアノ物語」は三木鶏郎企画研究所に保管されていたテープ、それも和紙に鉄粉のこなを塗付したものだ。とても繊細なものをデジタルアーカイブしたのが今回公開された。
技術的にも面白いものがある。モノラルからステレオになり、サラウンドシステムをFMで送れるようにする技術、サラウンドよりさらに立体的に聞こえるようにした、人の頭を模したダミーヘッドによる録音、そしてデジタル化とデジタルサラウンドシステムまで技術的変遷が見えてくるのも面白い。
宮崎駿原作の「シュナの旅」はデジタル録音方法によるサラウンド放送番組でラジオドラマということもあって、最高に音質が良かった。録音してしまった。
ただね。駿節というのはラジオドラマでは緻密さが少し足りない気がしました。やっぱり「グランドマンガミュージカル『ブンとフン』」が凄すぎた。4次元盗賊というのを書き上げた小説家「フン」の前に、その盗賊「ブン」が現れる。理由は4次元ってそんなもんだろうというこじつけも含め、4次元怪盗は人の感情や記憶まで盗める。まあ時間軸がないですからね。そういったところで人間批判や文明の根底への批判が、なんと子供向けにあっさり出てしまうのです。ひょっこりひょうたん島でもそれはあるのですが、もう直裁。ストレートに凝縮されています。
マジメに「プリンプリン物語」の前に同じことをしたわけで、しかもなんと子供向けというわかりやすい形で文明批判を平気でしてしまうのです。小説家・フンの記憶を4次元怪盗ブンが盗むと、虚栄から権威から全てが失われてしまい、フンの前には新しい美しい世界が開けるのです。そこでブンに恋をしてしまいます。
基本的にブレヒトの「三文オペラ」です。でもラストの滅茶苦茶さが、ブレヒトを超えています。
名作だ。
ラジオドラマというのはとても不思議なものだ。NHKのような会社では技術継承という意味がある。だから延々と作り続けてゆくし、技術部というマニアックな組織を持っているから、新技術の展開というためにもある。
そして60年代以降テレビと競合になる。まだテレビの普及が進まない時期に過激な作品がいっぱいあったようだ。その前にラジオドラマは全盛期が短い。1945年から1969年まで、ラジオしかなかった時代からテレビに移行する期間だ。娯楽がラジオからテレビに映る危機感があった。テレビで過激な、当時では過激な番組と競合関係になった。そこでラジオは徹底したラジカルな方向に走った。
それが日本のラジオドラマの伝統だ。テレビでできない実験をする。濃縮した世界がある。
テレビの予算ではできない企画などが、ラジオに流れた。より一層過激でアバンギャルドで、それでいて大衆性を担保するという壮大な目標があった。だがそれは難しかった。
ただ生き残る道はあった。それはテレビでの効果音などの様々な処理だった。でも音屋はめげない。音だけでドラマを作ってしまうという欲望はある。そしてわずかな需要はあった。
そしてその狭き門にチャレンジする脚本かもいる。ラジオドラマ出身というのは放送作家の登竜門として、まだ影響はある。
今日の夕飯は、栗と枝豆のキノコご飯だった。