どうでもいいこと

M野の日々と52文字以上

ようやく泳ぎに行く

2015-12-03 00:55:25 | 日記

 

2週間近く間を空けてしまったが、泳ぎに行くことにする。天気が悪いとか日が悪いとかグズグズしていたのだが、もう仕方がない。寒くなって億劫だというのはあるが、それにしてもサボりすぎた。

一応は泳げる。極端には下手になっていない。だが力が入らないのだ。少し筋力が衰えたのかもしれない。体重は77キロとなかなかの仕上がりなのだが、ちょっと情けない。なぜなのだろう。800メーター泳いで気がついた。二日酔いなのだ。というかこの一ヶ月間酒量が増えている。この影響は大きい。

それはそれとして今日はネタが多い。

 

 

最近性の多様なあり方が大きく認められるようになってきた。渋谷区が同性カップルに証明書を発行する条例を決めたのが嚆矢だ。アメリカの動きもとても大きい。この動きが広がるにつれ当然反発も大きい。県議会議員が気持ち悪いと発言したとか、そういったことが目立つようになってきた。これに対してニューズウイークが『歴史の中の多様な「性」』というタイトルで、もともと論壇紙アステイオン83号で掲載された論文を連載している。これがものすごく面白い。性社会・文化史研究者である三橋順子氏が書いている。

中を簡単にいえば、明治維新まで日本の性は多様だった。それが西洋の近代主義を取り入れて法整備した結果そのあり方が単純になってしまった、というものだ。だがその多様さは後々まで影響しているという。

トップの例から凄まじい。戸籍整備のためにある夫婦を調査したら、妻が男だったというのだ。どうゆうことかといえば、幼少の時から女として育てられた男だったというのだ。それを男だから婚姻はまかり成らないと行政は指導、妻の髷を切ってしまったという。

このほかに明治期に美少年狩りが流行った、男が男を追っかけるのだ。とかまあイロイロ。とりあえず彼女は、日本の伝統というが近代の150年程度のことを伝統とかいい気持ち悪いだの何だのいうのはおかしい、そう言い切るわけだ。その傍証が凄まじく面白い。今第3章に来ているが、そこでは大人と子供のジェンダーの区別というオッソロシイものが書かれている。そう、日本の性は多様すぎるのだ。ロリコンまで肯定されるではないのか。そういえば源氏物語はロリコン話というのが定説でもある。

日本のロリコンって何か変なんだよ。ナボコフの「ロリータ」は確かに変態だが、彼が変態になった理由がはっきり書かれている。日本のロリコンってなにかおかしいのですよ。それが何か垣間見えた気分だ。

 

さて彼女は日本の伝統というのは極めて奥深く、この高々150年の近代規範というのをやすやすと乗り越えてしまっていると言いたいのかもしれない。だがそうなのだ。性の問題だけではない。右翼のいう天皇崇拝も、一般庶民まで行き渡ったのはその150年なのだ。だいたい明治5年に天皇親政が早々と諦められたように、当時の日本人の90%は天皇の意味すらわからなかったのだ。それが大正から始まる時代で、大きくプロパガンダされていった結果なのだ。そこには本質的な伝統というものはないのだ。

もっと凄まじいのは、農家がいう「先祖伝来の土地」というのは、どの程度かというものだ。現在の農家のうちほんの一握りなのだ。大地主だった庄屋の階級は土地開放で持てる農地がなくなった。庄屋まではいかないが有力な自作農はいたが数が少ない。多くの小作が戦後土地を買っただけにしか過ぎない。とすると先祖代々とはせいぜい3代しかないのだ。

 

 

ペットボトルでイルミネーションというのは流行っているようだ。

さて「帝国の慰安婦」という本が韓国ででて何か騒動になっていた。著者朴裕河(パク・ユハ)・世宗大教授はこの件で名誉毀損で訴えられている。これに対して日本の著名人54人が抗議文を発表した。以外とまともな人ばかりが賛同者に並んでいる。なかなか画期的なことだ。なおファンフィントンポストでこの朴裕河教授へのインタビューが掲載されている。現実的にこの慰安婦問題はグレーゾーンが大きすぎる。もちろん軍が売春婦を用意したというのも恥ずかしい話だが、それにしても横たわる問題が大きすぎるのだ。そこは韓国でもこうした研究者がいればいいのだが、なかなかそうはならなかったという経緯がある。というのはやはりこうして刑事告発されたり、ある意味国外追放になったりしていたのだ。

ここには韓国の儒教による事大主義というのはある。先祖の批判はできないし現在の大統領への批判もできない。国が認めていることに意を唱えることもできない。だから日本占領時の方が良かったとか言えば、国賊扱いになってしまう。それでもこの裕河氏はとても誠実で、優秀な学者なのだろう。それでも告訴されてしまうわけだ。

だが韓国はこの政策をやめないだろう。現在中国と共闘状態にあるからだ。だが中国はどうなのだろうか。

「中国民主活動家締め付けに見る習近平の思惑」という記事がニューズウイークに乗っている。中国ウオッチャーとしては最強の遠藤誉東京福祉大国際交流センター長が書いている。近著に『毛沢東 日本軍と共謀した男』(新潮新書)がある。チャイナナインとかチャイナセブンという言葉を作ったのも彼だ。

「五七老人」とは、1957年に毛沢東が発した「反右派闘争」で不当に逮捕された者のうち、今もまだ生き残っている老人たちのことを指す。「反右派運動」というのは、毛沢東が1956年に「言いたいことは何でも自由に言いなさい」と知識人たちに呼びかけておきながら、彼らが寄せた意見が中国共産党や毛沢東の独裁を批判したものであったために、意見表明をした全ての者を「右派」として逮捕投獄した運動である。」

そう、民主化運動とはものすごく大変迂遠なものなのだ。この五七老人達は、当時あったことを語っただけに過ぎない。そしてこの遠藤誉氏の友人達も、中国共産党のその政権を取るまでのきわどい道のりを語ろうとしても、語ることが許されなかった。

当たり前のことなのだ。当時の国民党党と共産党が協力関係になったが、その情報をすべて日本軍に渡していた。共産党は国民党がボロボロになるのを待ち、国民党が行っていた焼き払いなどの戦術を逆に利用して農民を支配していったのだ。戦争における狸の化かしあいだったのだ。ただ政権を取ったら、それにひたすら蓋をし続けたのだ。

中国での日本軍の従軍慰安婦の最後の生き残りが最近なくなった。ただ彼女らに共産党は何をしたのか。差別したのだ。そして声をあげても封殺してきたのだ。だから日本人の協力者がいるのだ。それが使えるとなったら手のひらを変えて彼女らを、使い始めたのだ。韓国も似たようなものだ。売春婦として差別して、さらに日本軍協力者として差別して、いやそれ以外にも韓国は何をやったのか。日本でのアメリカ軍は、慰安所を拒否した。それはなぜかわからないが、韓国は慰安所を作った。そしてベトナムでも作った。

過去を使って政治を行ってはならない。それはヨーロッパが編み出した近代の概念だ。過去より新しい現実を考えるべきだ。EUの思想はそうだ。

だがまだアジアは、どうしようもなく都合の良い歴史の作成を平気で行う。それは日本人でもそうだ。先祖代々の農地というのがまさしくそれに当たる。すり替えでしかない。

韓国や中国のやっていることを、ワーイと喜ぶべきではない。あれは我々にも突き刺さるのだ。



小ネタ5連発。まずは時事ニュース。ルクセンブルグの首相が7月17日に首相官邸で安部総理と会談した。

「ベッテル氏は、安保法が衆院で通過した7月16日に来日し、翌17日に首相官邸で安倍氏と会談した。当時、官邸や国会周辺では反対派のデモが行われており、ベッテル氏は太鼓の音などを聞いて歓迎行事と取り違えたようだ。
 ベッテル氏は今回の会談で、「安全保障に寄与する極めて重要な視点が盛り込まれたものだ」と安保法を評価。デモに関しては「なぜ戦争をしないための法律なのに日本人は反対しているのかと疑問に思った」と述べた。 (2015/12/02-05:57)」

何かよくわかるような気がする。お祭りだったからな。


ロイターのコラム「シリアなどの破綻国家に共通する要因、宗教にあらず」これは奥深い。シリア北部で起きた干ばつで大量の難民が発生したことが、今回の危機の始まりだったという。その時に政府の初動がお粗末で、現在に至るという話だ。とても奥深い。確かにアフリカのマリでの現在も、北部の放牧民族のトゥアレグ族が干ばつで家畜を失い、マリの都市部に流入。その都市部での民族対立が誘因という説がある。


読売新聞の全国小・中学校作文コンクールの文部科学大臣賞がヤバイ。これは是非全文読んでいただきたい。ツーかうますぎる。フィクションじゃないのかと思うくらいにうまい。

「父が、逮捕された。

 自宅には家宅捜索が入った。毎日「いってきます」と「ただいま」を繰り返す門扉は、マスコミ陣で埋め尽くされた。

 2015年5月26日、夕刻のことである。

 6人の警官が玄関先で卵のパックに収まっているかのように待機する中、母は親戚に電話をして、駅前のビジネスホテルを押さえてもらうと、祖母に連絡を取り、そこから叔母が私を迎えに行くように手筈(てはず)を整えた。」

うまいだろ。最高だ。

なお私、ここまで最悪ではないが同じような目にあったことがあるので、逆になんとも言えないものがある。

テレビドラマでしか観(み)たことがないようなことが自分の家で起こっている。しかし、私はその現実を巨大なシャボン玉の中から眺めているような違和感でしか受け止められなかった。「渦中の人」は、台風の目の中にいて、時の流れが他と少し違うところにいるものなのだ。」

すまん。今はそうなのだろう。ただ私はあの時、やっぱりやってしまったかと思いつつ、家族で団結しなければと異常な気持ちでいた。むしろ学校の先生から、親父の立ち居振る舞いが立派だと言われて、逆にきょとんとしたほどだった。いや立派なんだけど、彼は家庭の緊張をほぐそうとはしなかった。

「立ち止まらなければ、必ず次に乗る船は見えてくる。私はそう信じている。」

その後父の挙動は、多少は改善したが、根本的には変わらなかった。

彼女のお父さんはいい人だ。

 

 

花粉症治験試験に参加して、劇的に治ったら、実はプラセボだったという記事が面白い。リアルにこういったことはある。

 

「コーヒで便秘改善、未承認薬販売容疑で逮捕」というのも小ネタだな。いや、一番面白いのは誰かがコーヒーで浣腸したことから始まっているという事実だ。でないとこの商品はないはずだ。何を言いたいかといえばこれはホモネタなのだ。確実にだが浣腸をうまくやりたいという発想のやつなんて、そこしかないだろう。とりあえずNHKの映像から察するのは、これでは大腸まで洗浄できないよ、ということだ。で、この会社社長が女性で70歳なのだ。一体このネタをどこで仕入れたのか。その上12億円稼いだというのはすごいことだ。

まあその前に大腸フローラをいじったら、ダメだよ。しかもこんなことで。ますます便秘になる人もいたかもしれない。

今度熱田氏にネタとして聞いてみよう。

 

 

ということで、今日の晩御飯。めんどくさすぎてキンピラゴボウの前処理をフードプロセッサーでやってしまった。思いっきり細かいキンピラゴボウ。煮えるのが早くて楽なのは確か。歯ごたえは火加減をコントロールしたが柔らかいね。エサとしてはなかなかの出来だった。今度オカラと炊いてみようかと思う。

体重77キロというのもこのマジックがある。お通じが良すぎるのだ。男なら2キロ程度は誤差だからね。一休禅師が糞袋といったのはよく分かる。