今日の遅い朝食はマカロニだった。1分30秒で煮えるというのはトーストより早い。便利だが、やや味が薄いように感じる。今日は泳ぎに行って、マリオスで岩手大学合唱部の定期演奏会を聴きに行く予定だ。
だがプリアンプ用の基板をジッと見ているうちに無駄に時間が過ぎてしまった。
そういえば貧困女子という言葉が最近出てきた。どういったことなのかといえば、若い女性で給料が安く生活がギリギリという女性が増えているというものだ。まあ女子特有のファッションなんかにつぎ込んでということではない。男のように見栄を捨てても社会が容認するわけでもなく、それでいて給料が安く、母子家庭の場合は最悪になる。で、彼女らが削るのは食費だ。どうもここが問題のようだ。この辺男は、貧しくとも腹一杯食う傾向にあるので、こういったところは男には見えてこない。
その中で、パスタ・茹でたてというのがあった。
最近、そういった人たちに無用なアドバイスをしている人たちがいる。一食300円以下1日500円以下の食事とかだ。いや御節ごもっともなのだが、本質的なことがわかっていない。なぜ茹でたてパスタ、ソース無しなのか。
貧困家庭は基本的に備蓄ができないのだ。冷蔵庫や冷凍庫があったとしてもだ。安い時に買いだめしておけばいいでしょ?そう想う人は貧困ではないのだ。備蓄してしまうと、それが無くなった時の恐怖がある。自分を本当にコントロールできるかどうか、とてつもなく不安なのだ。そして備蓄する分のまとまったお金がない。先のパスタだと500g80円という商品がある。ところが米だとそういった商品は特売でもない。1キロ190円があったとしても10キロで買わないといけない。カロリーやたんぱく質含量では確かにコメの方がまだいい。それでも将来に不安がある人にとっては、今あるお金を少しでも残さなければいけない。
パスタはその辺計算しやすい。一食100gで500g80円のパスタで1日と2食過ごせれる。そして食べた気分になる。だからパスタなのだ。
しかし光熱費で行けばパスタというのは割高なのではないのかと言われそうだ。確かにそうなのだが、目先で動くことしかできないのが貧困なのだ。ここが最大の問題なのだ。
カワアイサのメスとオスが追いかけっこしている。
激安ソースを用意できる私は、まだ貧困とは言えないのかもしれない。
だがやはり貧しい。その下の貧困というのはどういったことなのか、実はイメージでしか誰もが知らない。貧困イメージは成功者の話の中でしか出てこない。確かにどんずまりの生活だったりする。だがその当時の貧困と今の貧困は次元が違うのだ。
豊かなのに貧困なのだ。それがさらに問題を見えにくくしている。パスタ=豊か、ではないのだ。
沖縄の問題も実はそこにあるようだ。ダイヤモンドオンラインでみわよしこ氏が書いている「生活保護のリアル、私たちの明日は?」というコラムがある。「沖縄の貧困率は全国平均の2倍、その理由」は多分本土の人は知らないだろう。この中で山内優子氏(沖縄大学非常勤講師)の記念講演を、記事から少し長めに引用する。
「ひとり親世帯の貧困率は全国で54.6%ですけれど、沖縄県は全国で一番、貧困の子どもが多いんです」
と、沖縄の子どもたちの貧困の状況を語りはじめた。高校進学率・大学進学率では全国を下回り、高校不登校率・高校中退率では全国を上回る。非行少年の補導率は全国の6倍。中卒後・高卒後の進路未決定率は全国の3倍という。深刻な状況を物語る数字の数々に、会場から重い溜息が漏れた。私も溜息をついた。この状況で生活保護率が高くならないわけはないのである。
山内氏は、そのうち大きな背景は3点であると考えているという。
1点目は、第二次対戦末期の沖縄戦が地上戦で、子どもも巻き込まれたこと。沖縄戦では県民12万人が犠牲になり、人口比では4人に1人である。犠牲者を年代別に見ていくと、10歳未満が2万4000人、10代が2万人、20代が2万8000人。合計で7万2000人。死者の60%は20代以下だったということになる。
この事実を山内氏は「これからを担う世代と子どもが数多く死んでいるんです」と伝えながら、写真を何点か紹介した。米軍が設置した孤児院に収容されている子どもたちが全員、子ども服が用意されていなかったために全裸でいる写真・下半身に着るものがない孤児院の男の子が、局所を隠すために脚を組んでいる写真。もちろん、住環境も行政機能も何もかも、戦争で失われた。役所が爆撃を受けて戸籍が消失したことによる問題も発生する中での「すべて焼き払われた中からの、ゼロからの出発」(山内氏)だったという。」
1500メートル以上は泳いだ。たまたま記録会をしていて電光掲示板がそのモニターになっていた。なにかタイムがおかしなことになっていて、変だなと思ったら小学生から大人までの記録会だった。
あのタイムが中学生だったら、どうしようと思った。俺より遅い競技者は許し難い。でも納得。
話はまたダイヤモンドオンラインになる。「下町ロケット以下の苦難、下町ボブスレー”5輪への遠い道”」はニャカニャカに面白い。ビジネスモデルとしてかなりいい。URLはこちら。まあ本来ならタイトルとリンクするべきなのだが、最近gooのサイトだと思うのだが精密なドラックを許さないのだ。書いた先からリンクしなければいけない、そういった挙動なんで、面倒くさい。
まず日本でも超マイナーなボブスレーの機材開発を東京都大田区の工場が始めた。女子ボブスレーと組んでのことだったが、オリンピック出場できないのがわかり、男子に移行。ただそこで大きな壁に突き当たる。ここからは私の言葉では無理なんで是非とも読んでいただきたい。
これぞ日本だという問題でもある。データー重視の技術者と感覚的な競技者との思いっきりなさにぶち当たった。その上太田区の宣伝に使われているという思いが、弱小ボブスレー側にあったわけだ。
まあ男だね。どんなにマシンがタイムを出そうがどうであろうが、オレでないといけないわけで。
ということで、大田区のボブスレー開発は海外に行くようです。多分この記事があるということは、もう日本チームとは付きあいたくないのでしょう。
とはいえ、ニッシンのチェアスキーがなぜ海外で売れないのかといえば、まあ日本人の要望を聞きすぎた結果でしょう。
岩手大学の合唱部の定期演奏会を聞く。第3部からだったが、パレストリーナの演奏が凄まじかった。音は素晴らしかったのだが、そもそもパレストリーナを大編成でやるためにはかなりな困難がある。ソリスト6人で6声というのが普通でソリスト+合唱ということで18人編成が普通だ。だがあそこでは、40人以上いるわけで、そこをソリスト分担という大技をやっていた。なので全声部6人一組をユニットにして、それを一列に、それでいて音響的に配置し、6声だったら12から18に分割し、各ユニットに割り振り、ソリスト役は全員がどこかでやるという、演奏困難なことをやっていた。
すごくよくまとまっていた。驚くほどだ。
帰りに響による。なぜかお客さんの持ち込んだクリスマスソングばっかりになる。
ただやっぱりその前に聞いた、「雪の日に」の合唱が素晴らしすぎた。
「どこに純白な心などあろう、どこに汚れぬ雪などあろう」。
泣きそうになった。