
午前10時で30度を完璧に超えました。暑いです。今日も気がつくとフトンの外で寝ていました。泳ぎに行きますが、すでにいい予感がしません。暑すぎるとプールも熱い。めんどくさいけど泳いで岡で休んでを細かく繰り返すことにします。
しかし暑い。泳いでも力が入らないし、入った瞬間だけ冷たいと喜ぶだけ。外にでたら最初の10分は濡れた肌に風が当たって気持ちがいいが、それを過ぎるといつものゴロゴロですら苦行になる。でも多分家にいるよりはマシなのだ。
昨日のプールの事務所ではオリンピックの開会式の中継が流れていた。だが、ラジオで聞くと甲子園の開会式とどこがどう違うのかよくわからなかった。そして今日は午前中は水泳の何かが流れていた。だが午後には甲子園の中継に変わっていた。
アメリカがリオのオリンピックに冷淡なのはなんとなくわかる。アメリカの裏庭と見下している国で、何ができるんだという意識がむき出して、ネガティブキャンペーンをやっているような状態だ。その結果開会式の視聴率が16.5%程度になりそうだという。もしも今後他の中継でも視聴率が低ければ、契約上の問題が生じ、今後の広告料を無料にする保証処置が行われることになる。

日本は競泳男子400メートル個人メドレーで、萩野公介が金メダル、瀬戸大也は銅メダルという快挙を成し遂げましたね。まあ4種目できる器用さというのが、基礎をミッチリ仕込まれる日本人ならではのものですが、さすがに400メートルというパワー系の世界ですから、これはすごい。
萩野公介は御幸ヶ原スイミングスクールか。瀬戸大也はジャパンスイミングスクールか。通称JSSは全国にスクールがあり、そのネットワークで有力な選手を発掘できる強みがある。だから小・中・高・大・マスターズと有力選手をいっぱい抱えている。当然オリンピック候補もいっぱいいる。ただもしかすると組織が巨大すぎるかもしれない。北島公介も東京スイミングセンターだから、この辺そうなのかもしれない。
巨大すぎてマニュアル化しすぎて、極端なトレーニング法を使えないのかもしれない。
都南のプールの脇に用水が流れている。清流だ。野菜の洗い場がある。

ただやっぱりプールのラジオもそうだったが、周りでは甲子園の話しかない。盛大付属高校が一回戦突破したのだ。しかも九州・福岡とだ。結局地元の話題が最優先になる。今はスポーツの多様化があり、マスコミもそれなりの対応になっているとは思うが、やっぱり野球が圧倒的にメジャーなのが日本だ。
水泳は語るのが難しい競技だから。仕方がないかもしれない。
水を極めるのは、本当に難しいのだよ。水という流体の摩訶不思議さというのがあって、それが荻野選手の無駄のないフォームであって、北島選手の足の裏の感覚であって、一応決着がついた水をキャッチしてプルする過程の、ほんの少しの感覚的な問題であったりするわけだ。私にしても50メーター60秒と50秒と40秒の水の違いに戸惑っている。20秒台だとどんな挙動をするのか、これを簡単な言葉に置き換えられる人は多分いないだろう。
そして水温だ。現在都南の屋外プールは30度を超えている。すると何が起きるか。キャッチからプルの過程で手から水が逃げやすくなるのですよ。いえ、水が軽くなるのです。体は早く感じるようにもなりますが、手は違うことを言います。キャッチできないし、プルが効かない、そういってきます。30度の水温だと激しい運動をしてはいけない領域です。空気より水の方が熱伝導率が高い分、体温に近くなれば体を冷やす効果が薄れるわけです。汗という方法と強い風の方が涼しいのは間違いありません。
26度から32度で、水はかなり物性変化すると思います。

帰り道、まずはショッピングモールに寄って涼んだ。やっぱり涼みに来ている人が多い。でも帰り道はある。少しは温度が下がった中で、走る。止まるより走っていた方が涼しい。
でもだな、スギとノウゼンカズラの共生とか見れば、止まってしまうんだな。確か、なぜか上手く行くらしい。通常はツル植物と針葉樹は上手くいかない、正確に言えば針葉樹を弱らせてしまうのだが、バランスよく育つという話は聞いたことがある。

郊外の高架線下の日陰を走る分には涼しかったが街中に入ると輻射熱のど真ん中にはいった、そんな暑さに変わる。
喫茶渡辺に寄る。アイスコーヒーはうまかった。
話題は、最近の品種についてだった。イエローティピカという品種を売り出している店があってどうなのかとお客さんに言われたという。
今のコーヒーの流通に関しては、問題が多すぎる。通常品種では赤い実が黄色い実になる変異種はある。だがそれが美味いかどうかというテストは、実は誰もしていない。正確に言おう。同一農場で同一条件で作られた品種別コーヒーのカップテストは部分的にはあると思うが、全世界的にはないと思う。
園芸の世界では、最高峰のオールアメリカンセレクションというオリンピック級のとてつもなく厳しいコンテストがある。アメリカ全土、つまりシベリアからフロリダまで試験場で育てて所定の成績を収めた上で、金メダルを取れる。当然耐病性が大きく評価される。その上花も野菜も立派で生育の良いのがメダリストになる。
だがコーヒーにはない。世界でコモディティなのにないのだ。
味の評価でコシヒカリ系が日本のコメを制覇したような、システムがない。
理由は簡単で、生産地が貧しすぎるからだ。新しい品種を導入したくともできない。できたとしても限定的だ。それができるというのは、企画物と考えても良いかもしれない。もちろんその地にあった品種と思うのだが、ものすごく胡散臭さを感じるわけです。
で話し合った結果、私が一方的に話したと思うが、年間降水量がエチオピア以上の国で、特別な施設を使わない(コロンビアですら持てないレベルの)、ナチュラル乾燥法を歌っている物は確実に企画物で、確実にダメージがあると思った方が良い。
苦くて酸っぱいというのは人類史でない飲み物だった。新しい飲み物であって、この文明下でしかない飲み物なのかもしれない。確実に嗜好品であやふやな物だ。おまけに日本だと40台になってから飲み始めるという不思議な飲料だ。イメージだ。それで良いと言えば良い。
だが間違いなく、変な商品が出回っているぞ。まるでテキストを飲んでいるような、そんなコーヒーが出回っているぞ。
まあおかげでコーヒーの底辺を楽しむことはできるが、あれはあの値段では、相当な駄文だ。