どうでもいいこと

M野の日々と52文字以上

秋の始まり

2016-08-15 00:57:11 | 日記

 

月曜からどうも天気が悪くなるらしい。今日が夏最後の快晴ということになりそうだ。しかしもう既に光は秋めいている。

今年もどこまで黒くなるのかというアホなことをしているが、今までの経験則を補強すべく気象庁の紫外線情報を見ているのだが、かなり正しいというのがわかった。この岩手だと一番日に焼けるのは、午前11時から13時の間だということ。10時半から13時半の間が勝負だとなる。そしてなのだが、紫外線の強さということではやはり夏至の頃が一番強く8月10日以降だともう十分に焼けているので、弱くなり始めた紫外線ではこれ以上は焼けないということだ。

紫外線の強さといことでは、もう夏の光ではない。

 

 

今日の最高気温は29.1度と快晴の割には低くなった。11時頃から薄い雲が出てきて日差しを和らげたからだ。だがこの29度も瞬間的なピークで、暑い時間帯は大体28度で推移していた。今後も南風が吹き込んで暑くなることはあるだろうが、残暑という程度に収まるのだろう。

 

 

そういえばイオンの土産物コーナーで「手土産ギフト」という言葉で、お盆中に急に親戚の家を訪問しなければいけなくなったとか、友人に会いに行くとか、それと全くのお土産でも少し高級品というものを扱うコーナーができていた。

だが「手土産ギフト」という言葉の居心地の悪さがたまらない。もちろん全ての手土産もピンキリで、上はヤクザや政治家の「手土産」下は「我が家で採れたトマト」まで色々だ。ギフトも贈り物という意味では上は金銀財宝土地家屋だし、下は気の利いたハンカチ程度だろうか。さすがに我が家で咲いた花とかはギフトではないな。割と高級品というニュアンスはある。でもやっぱり「手土産」にはささやかなものというニュアンスがある。ギフトはお中元やお歳暮並みか、お祝い品のイメージがある。それなりに高級で包装が綺麗というのが特色だろうか。

この二つの言葉が出会うことの意味はわかるのだが、でもやっぱり居心地が悪い。お土産との差別化をしたいのだろうが、如何にもこうにも収まらない。

その前に手土産というのはとても難しいものなのだ。イオンのいう職場への手土産という言葉はそもそもおかしい。「長くお付き合いしている取引先の職場に顔を出すので、手土産を用意した。」はわかる。「帰省から職場に手土産を用意した」というのはそこに上司も含まれる。何かおかしくはないか。

手土産というのは、手渡すことのできる相手がいるのが前提の言葉だろう。個人から個人のものだ。そして手で運べる範囲の気軽なもので、気が利いたものというニュアンスもある。即興的な意味合いもある。友人宅で飲むのに、イオンで売っているスパークリングワインのサラ・ビベとクラッシュアイスを4キロ買ってワインを冷やしながら持っていったら、それは最高に手土産ではないのか。相手に負担を感じさせないのも手土産だと思う

居心地の悪い言葉というのはどうしようもない。お中元の残りをなんとか売ろうとしている感が出ていてたまらない。5000円のスペシャルギフトのカルピスセットは手土産なのか?手渡しで喜ばれるニュアンスゼロの手土産ってないだろう。

 

 

今オリンピックと甲子園でみんなわすれているのだけど、岩手国体があるのだよ。ほんと。総合プールの日程を見てため息が出た。9月は18日から全面オープンなのだが、24日と25日は大会でお休みだ。

国体は市民スポーツを阻害するので、ぜひ廃止しましょう。真面目に言います。どう考えても、国体のために運営制限している状況で、ゆぴあすや都南のプールに人が移動していないのですね。特に屋外プール愛好者というのはいるのですが、総合の人たちが全く移動していないのですよ。多分盛岡市の水泳人口が減ったと思います。何かそういったのを感じるわけです。

猫は家に着くと言いますが、人も似たようなところがあって、いつもの席でないと落ち着かないとかそういったところがあります。いつものプールでないとダメという方も多いと思いますよ。

ただその前に、水泳人口が明らかに減っているということです。将来的にプールの維持管理費が大変になる可能性が有ります。

なお世にも珍しいのにプールマニアというのがいまして、出張先にあるプールで泳ぎたいという方です。滅多にいませんが、この気持ちはよくわかる。泳げリャどこだっていいんだよ、というのは慣れした親しんだプール二つがなくなったという経験があるからでしょうね。

 

 

空の色も秋になってきました。21日で都南のプールはお休みになります。一週間長い営業だったのですが、どの程度の入場者数だったのかが気になります。

屋外プールはやっぱり塩素臭くなくていい。その上開放感が、そう天井がないだけでなく裸という開放感が大きい。ダラダラしてもいい感じもいい。天井があった瞬間になんか真面目でなければいけないという感じになる。いい加減なところから発見はあるものです。

プールの底に映る影は、フォームを見せてくれます。右手と左手の指がどうなっているのかが見えます。波で足の動きは見えないのですが、自分の作る波の影は見えます。水と風と太陽と、プカプカ浮いているだけでこれだけで楽しいものです。カエルは後ろ足だけで泳ぎますが、それを再現するとか、結果腕を前に出すカエルより、人なら腕を後ろに回したほうが結果がいいが、腕をダランとしたほうが楽しすぎるとか、天井があるとやらないことができてしまうのが屋外ですね。

ブラジル人もそう思っているんだろうな。でも国際大会で屋外というのは。スタンドで風をさえぎっているのだろうが。

 

 

雲も秋です。

 

 

ポケモンストップで車に乗った状態でバトルしているのは気持ち悪いんですが、ゲーマーはなぜ対面を嫌うのかという考えにもなりそうです。

ポケモンGOはそういったソフトではないはずなのですが。

開発者が予想していなかった利用形態というのは、どこでもある話ですが、日本の場合は今後どうなるのかが注目でしょう。

 

 

なぜか左手首が腱鞘炎になっている。さてさてどうしましょうか。ただなった理由がわからないのがなんとも言えない。