今日も暑い。家にいても何もすることもないし、トラブルカフェシアターの第27回公演「Backers」の前売りチケットでも買いに行こうかと外に出る。この前の「自演無双2」はオムニバスの芝居だったが、そのなかの「ブラック」が丸々この芝居の宣伝になっていたので、まあ見なければいけない。とは言ってもトラブルカフェシアターはハズレのない芝居を打つ。だから観れるときは見たほうがいい。
そう思っておでってプラザにチケットを買いに行くと、信号が赤になった。ン、とおもったら岩手銀行(旧盛岡銀行)旧本店本館・旧中の橋支店が国指定重要文化財になって改修・復旧工事を経て、岩手銀行赤レンガ館として一般開放している。これは寄るべきだ。
銀行としての現役時代に建物の中に入ったことはない。少し敷居が高かったからだ。近所の支店のほうが親しみやすかった。ATMは隣の別館にあったのでさらに使うことはなかった。だが中はすごいはずだ。そう思ってきた。
東北で唯一の辰野金吾、東京駅の設計者、の設計だ。多分弟子が盛岡出身の葛西萬司がいたから受けたのだろう。個人的に全体のデザインは辰野が行い、細かい仕様は葛西が詰めて行ったのではないのかと思う。とはいえ辰野のデザインはすさまじく合理性を欠いている。復元されたからこそ、それが見えるのだが、かなりわがまま言ったのではないのかな。竣工時2階吹き抜けになっているが、やっぱり寒くて後年天井をつけたという。盛岡の寒さでは、これはかなり辛かったと思う。そもそも2階の周り廊下は何のためにあったのか、銀行員が働いているのを睥睨するためにあったとしか思えない作りは、完璧にデザインでしかない。復元された2階の突き出し回廊は、残念ながら現在の基準では人が出ることができない。
中の展示で発見した昭和45年の「第25回国民体育大会・みちのく国体」を記念して岩手銀行が作った貯金箱。どうも競技が特定できない方がいます。あの、水メガネをかけた方はなんなのでしょうか。他にもナゾな方が3名いますが、昭和45年に同一キャラを横展開するというのは実はすごいことです。しかもここまで多く。どうも手彩色のようですね。
なおキャラ名は「岩ちゃん」だそうで、商標登録しなかったのか途中で継続をやめたのか、現在岩手大学に「がんちゃん」というキャラがいます。全く似ていませんが、当時の商標は名称だったので多分引っかかったでしょうね。
なお盛岡信用金庫のキャラ(このページの下にいる)のも多分この当時に作ったもの。盛岡の広告代理店で結構尖った会社があって、そこが当時最先端を入れていたというのがありまして、こういったものがあったのですよ。潰れたけど酒蔵の岩手川のTVコマーシャルとか、ダークダックスにオリジナルソング歌わせていたんだな。カメラのキクヤのアニメーションとか、今から思えばユニークなものがいっぱい出ていました。
もうたまりませんな、この空間。
階段の意匠が何が何だかわかりませんが、凝っています。でも凝りすぎていて手すりにつかまって登る方は要注意です。最後の一段の前に手すりが水平になるようにカーブしているのです。今だと上りきったとこで手すりが水平になるようになっているのがほとんどですが、一段前に手すりが水平になるので感覚的に最上段に来たと思ってしまいます。
ただここは後日検証し直します。降りることしか考えていないという可能性がありまして。手すりのこの玉の磨り減り方からも、下りで手すりが使われていたということが言えそうです。ただ全部の階段がそうなっているのかは、今わかりません。
工員の移動に規則性があった可能性もあります。。
これはすごい建物です。残念ながら床が当時の面影を残していると思われるのが旧第2応接室のみで、現在でもどうだったかは誰もわからないということです。現役として使われ続けた建物ですから、その都度の改修があったので、建物の消耗品の床が現存していないというのはよくある話です。
なお水害にあったから床がわからなくなったという話をしてくださる方がいましたが、第2応接の床が当時のものだとすれば、残っている方がおかしいので、あそこは全くたまたま残ったものだと思います。
ファサードから撮り直さないとな。とにかくこの建物はすごい。中を見て本当に思った。
石井県令邸のように、居住区が失われたが応接のエリアが完璧に保存されている建物もある。もうこの二つは盛岡の誇る建築物だ。付け加えるなら江戸末の原敬生家だろう。この3点で弘前に匹敵する。
そうなんだよ、弘前はすごいんだよ。マジメに。明治中期から大正昭和とムチャクチャあるんだよ。ただ歴史的意義からすると明治初期の洋館の石井県令邸と、明治末の辰野金吾のこの建物はすごいの一言だ。
なお盛岡でよく言われる建物だが、中央公民館の南部家別邸はビミョー。南昌荘は豪商のお遊びの別邸。意匠に凝っただけ。一ノ倉邸は豪奢ではある。そして生活空間が保存されている。その意味で見る価値はあるが、動態保存としてはどうなのかという疑問が常にある。飾りすぎているのだ。そして数奇屋だとしてみると、弘前の藤田家別邸と比べてしまうわけだ。多分武田家の公開していない家屋の方が歴史的な意義があるかもしれない。
あと一件盛岡には多分すごい建物がある。徳清の建物だ。こいつは外見だけですごい。だが一般公開されることは滅多にない。
思っていた以上にすごいものに巡り会えた。すごいとは思っていたがまさかここまでとは。あの赤信号に感謝しなければいけない。