どうでもいいこと

M野の日々と52文字以上

初泳ぎにゆくはずだった

2017-01-04 01:00:36 | 日記

 

今日は総合プールが初泳ぎで無料開放になっている。この2ヶ月泳いでいないので、まずは無料から初めて、少し通い直そうと考えていた。そう、タダだと少し泳いだだけでも損した気分にならないから、泳ぎ始めにはいいのだ。それが有料で入るとどうしても2000とか目標を立ててしまう。そうすると時間ばかりかかるだけで、体を痛めつけるだけにしかならなくなる。だからこそ無料には意味があるのだ。

それがだ、NHKが東京ジャズフェスティバルの音源を流していたのだが、サッチャル・ジャズ・アンサンブルというパキスタンの民族楽器を使ったジャズバンド(としか言いようのない編成)が出た。もう聞き逃せなくなり、プールは諦めた。

このサッチャルは、かなり悲しい現実があって出来た。イスラム圏では今イスラム政権やイスラム主義に偏る傾向にある。元々はサウジアラビアのワッハーブ主義の輸出から始まっているのだが、ジハード主義の台頭から下手な世俗主義を取るとテロの対象にもなる。身内だからこそ不正は許せないのだ。その意味で、トルコですら世俗主義を放棄しつつある。インドネシアでは禁酒法ができるかもしれない。パキスタンはその中でもかなり微妙な位置にある。インドとの国境紛争は、実は宗教戦争の側面がある。そのためにゲリラを使うことがあり、それがイスラム原理主義者を温存する政策になる。実際国境近くを管理しきれないといって、アルカイダなどの過激派を放置したところがある。

だがイスラム原理主義を内包することで、逆に政権が攻撃される可能性すら持つようになる。親イスラム政権でも攻撃される可能性があるなら、何らかの犠牲を出さなければいけない。それが「音楽」だった。イスラムで音楽を禁止するというのは全く聞かない。ただパキスタンの場合ムガール帝国の一部あった。なのでインドの影響が大きく楽器が大体そうだ。独自の楽器もあるしパキスタンで独自進化したものもあると思う。だが それはインドの音楽でもあると単純に見らてしまう。インドとの対抗と宗教の問題から伝統音楽は禁止されてしまう。考えられないがそれが起きた。でも伝統音楽の側は何とか生き延びないといけない。だから現代の武器YouTubeを使って果敢にジャズに挑戦する映像を出した。

 

 

もともとインプロビゼーションの要素の大きい音楽だったせいか、何とか形になった。で、ヒットした。ウイントン・マルサリスの主宰する音楽祭で招かれて世界中に広がったのだ。

あ、YouTubeで久しぶりにウイントン・マルサリスを見たのだが、太ったね。ほんと太った。例の純金のトランペットではなくなってフリューゲルホーンに近いトランペットになっていた。やっぱりあのペットは重くてウエイトトレーニングしていたんだろうね。やめたら太った。あのマッチョでかっこいいマルサリスが、デブになった。でも音楽はさらに面白くなっている。

多分このサッチャルが初めてジャズと民族音楽の融合に成功した例かもしれない。今までも成功してきたのだが、ジャズに傾きすぎたりポップスになってしまったりしたのだが、サッチャルは絶対譲らない一線がある。エスニックな楽器を使いました、ではなくて民族音楽の存亡の危機なのだ。その切迫感はすごい。将来パキスタンの民族音楽はジャズになっているだろう。でないと、パキスタンで演奏される可能性すらなくなってしまうのだ。

凄まじい名人芸そのものはジャズだと思う。もうカレー風味のジャズなのだが、確信的なのだ。彼らは演奏する自由が欲しいだけなのだ。それこそがジャズの歴史であり、本質なのだ。彼らは本当は伝統的な音楽をやりたいのだが、全く出来ない。その一線を持ってジャズに挑戦し、成長を続けている。

なおYouTubeの映像で、ジャズバンドなのに指揮者がいるといい違和感はともかくとして。そのスコアがチラっと見えるのだが、それはどう見ても図形楽譜なのだ。パターンをグニャグニャと書いただけのものなのだが、それで指揮ができるというのが、音楽の本質なのだろう。

 

 

フィンランドでベーシックインカムが試験導入された。対象は2000人だ。あくまでも試験導入だが多分結果はうまくいくだろう。理由は2000人は特別な理由がない限り、働かざるを得なくなるからだ。高福祉国家にとっては福祉政策の申請書類が増大するより、事務効率が高いベーシックインカムの方が効率が高い。不正受給の問題がかなりなくなるからだ。その実証実験だ。

問題になる、ベーシックインカムを受けたら働くなるという議論だが、2000人だと逆に少数優遇になり、それを意識して働くようになるだろう。ただ全国民になったら、絶対働かない人が出るはずだ。その見極めが2000人でできるかどうかはわからない。

フィンランド社会保険庁事務所(KELA)の法律部門の責任者マルユッカ・ツルネン氏は「臨時収入を得てもベーシックインカムが減らされることはないので、働いたり、自営業を営んだりすることはどんな場合でもやる価値がある」と語る。」

日本でのベーシックインカム議論で情けないのは、国家とはどうゆうものなのかという議論なのに、そこがすっこ抜けている点だ。高福祉国家は国民へ平等を保障する。安全も保障する、健康も保障する、生きること全部を保障する。その対価として税を徴収するのだ。

国家と国民の対峙が違うだけなのだ。

働きたくとも働けない人を働かせるのがベーシックインカムなのだ。国家は理論的な保障しかしないという突き放した形が、実はすごく正しいのだ。



ああ、今思いついた。ミニマルミュージックの元祖は、サティじゃないな。ブルックナーだよ。もちろんフランクという偉大な作曲家もいるけどね。