
今日も平和でしたと言いたいことなのだが、私は平和でも、私の未来は相変わらず暗いし、世界はさらに暗い。まるでSF小説を見ているようだ。

自由主義経済のいいところは、責任が明快だということだ。東芝が倒産しそうなのだが、なぜかメモリー部門を売り払って原子力部門を残すという。逆に今だと原子力部門を買い叩きたい企業がいっぱいいるので、そちらが優先されそうなのだが変なことになっている。
株主はどう考えるのだろうか。
わかるのは原子力部門は国家と繋がりすぎているのだ。国家が助けてくれればいいのだが、国家は民意で動く。政権でも変わる。その怖さが、この中にある。原子力部門は、他に売却できないのではないのか。東芝が解体されない限り三菱も日立も引き受けないのだろう。
国家はここがとても怖いところがある。だから企業は自由でなければいけない。

今週はプーランクばかり聞いている。「仔象のパバール」の管弦楽団版を再認識できた。とてもいい曲だ。
ただね、プーランクってなんでこうまたイラつく曲ばっかりなのだ。すごくいい曲が多いのだが、何かイラつかせるのだ。多分これはパリっ子に対する私の僻みなのかもしれない。
そう、フランス音楽の最大の問題はイラつくことだ。なぜかラヴェルにはないのだが、それは彼がスペインの重い血を受けついでいるからかもしれない。構造がしっかりしていて気がついたらどこか別なところに持ってかれてしまうのだ。ドビッシーは実はワグネリアンなので、その辺実は安全なのだ。
プーランクのエスプリは、全くそういったことがなく徹底的にパリなのだ。もうその軽やかさに対する管弦楽の扱いの全くの現代音楽ぶりと、流行の取り入れ方とか、その手癖とか、いいんだけど大好きなんだけど、ものすごくイラつくわけだ。
で、なんでプーランクを聞いているかといえば、トランプさんを忘れられるからだ。もっと酷いのがいるからそれを忘れるために、全く真逆な、トランプさんにはありえないエスプリ、イラつくエスプリを注入しているのだ。アメリカ人も日本人も理解できない世界をね。
世界は大きな物語を希求しているように思える。だが大きな物語が瓦解した時にプーランクはいたわけだ。彼の音楽は、小さな物語すら瓦解した世界では、極めてロマンティックに響くのだ。たとえイラついてもだ。クセナキスのように生真面目な音楽は今はとても良くない。
几帳面に不真面目であることこそが、今重要なのだ。

「alternative facts」の訳なのだが、ようやく適正な訳にたどり着いた。「もう一つの真実」だ。
さすが冷泉氏だ。確かに交換可能とかそういった意味合いはあるが、二者択一という意味合いがある。その意味では「 もう一つの真実」は苦しいが正しい言い訳でもある。
ただ、なぜオルタナティブという言葉を使ったのかはよくわからない。別な言葉があるのではないのかと思う。「選択可能な真実」という言葉でもあるからだ。その危険性は誰もがわかる話だからだ。
オルタナティブ・ライト思想の表明なのかもしれないと、かなり疑っている。
いずれ単純な数字だけでこの言葉を出すのは、全く良くない。