どうでもいいこと

M野の日々と52文字以上

キンクロの着水から行こうかな

2017-03-25 19:29:37 | 日記

 

水鳥というのは、飛んで着水する姿も綺麗なものだ。だが我らキンクロは全くダメだ。同じハジロ類でもホシハジロの方がお行儀がいい。こんな感じでドシャっと落ちるのだ。

 

 

ここまでは普通の着水体制。

 

 

で、減速してそのまま素直にゆけばいいのに、

 

 

ドシャっと落ちるのだ。どうも水に足がついて減速すると、足を後方に蹴り上げてしまうようだ。そのタイミングが他の水鳥と比べて早すぎるようだ。なぜ早いのかはわからないが、やはり足の構造にあるのかもしれない。水に適合するために足の関節が柔軟になって、骨盤も広くなっているようだが、そのぶん陸上には適さないようになっている。水を掻くには適しているが、一定以上の水圧に耐えられないのかもしれない。

 

 

キンクロについては解剖図を見ていないからわからないが、ポピュラーな割には変な鳥だ。

なお氷上で転んでいる写真を以前乗せたが、この着水の下手くそさを見ていただければ、なぜ転ぶのかがわかっていただけるかと。

他のカモ類と比べてもこの着水シーンは撮影しにくい。理由はそのドシャという感覚にある。いつドシャとなるのかは条件が変われば簡単に変わるわけで、ほぼキンクロ次第だ。なので今回まとめて取れたのが嬉しい。

 

 

で、スズガモの潜る直前はまだ達成していない。ホシハジロもそうだが、キンクロは比較的オーバーモーションだということなのかもしれない。というか不器用なのか。

 

 

今のうちにキンクロが口を開いた瞬間を狙っているのだが、これは難易度が高すぎる。

 

 

難易度が高いはずの潜る瞬間を撮れるようになったのだから、簡単なもののようだが、いつ口を開くかというのは全く予想ができない。だいたいこいつの鳴き声を聞いたことがない。そんな鳥の口の開いたところは喧嘩する時だが、滅多にない。

 

 

 

この前のNHKFM「今日はいちにち失恋ソング三昧」で、オフコースの題名は忘れたが、「もう終わりだね」というフレーズを「もうオマーリだね」という阪神ファンの鉄板のネタがあると知った。問題は続きはどうなっているのだろうか。

「もうオマリだね、君が大きく見える」

かなぁ。これだけの変更でそのままになりそう。

喧嘩をやめられないのが野生です。

 

 

「今日はいちにち失恋ソング三昧」でのあの「緻密なSNS的な社会がメソメソした失恋ソングを、ポジティブなものに変えた」という議論は面白かったな。

だがメソメソしたい男女はいっぱいいるわけだ。それを誰にも打ち明けられない状況が存在するかもしれない。

拡大した社会に対する自己の極少化というのも同時にありそうな気がする。

 

 

人も距離が必要で、それがプライベートなのですが、建前の率直で密接な空間は限界はありますね。

キンクロも一定以上の密度になれば喧嘩しますし。まあこの鳥は本当に男子ばっかりなんで特にそうなんでしょうけど。

 

 

今年は、ガマガエルの調査はしないことにした。ただ発生時期は知りたいので少しだけ頑張るつもりだが、計量はしない。理由は減った理由に自分がカウントされたくないからだ。一回程度写真をとるかもしれないが、その方法も考えなくてはいけない。

 

 

泳ぐに行くと雫石川の河川敷に大きなキジがいた。

1600メートル泳いだ。タイムを測ったら、短水路100メーターフリーのマスターズ90歳から94歳の記録をようやく上回った。

いつも思う。この人はすごいなと。

 

 

オバマケアが継続になった。共和党の法案がお粗末過ぎたのが原因なのだが、アメリカの国家理念が一体どこに行ってしまうのだろうかという、危惧はわかる。だがその国家理念が真実だと他国に押し付けていた実際を、彼らは何とも思わないのだろうな。

失恋ソングと同じなのかもしれない。勉強させていただきました!


この前のNHKFMの三昧は面白かったな

2017-03-25 01:05:48 | 日記

 

今日はまあいいやといった日だった。計画通りに時間が進んでいたのだが、なぜか辻褄が合わなくなった。だからどうでもいいやと諦めた。

 

 

この前のNHKFMの三昧特集は「失恋ソング」だった。色々な意見が出ていたが、ゲストの脳学者と社会言語学者の意見がすごかった。

で、この学者さんを調べたのが、NHKのサイトに記載がなかった。ツイッターのログを調べれば出てくると思うが、どちらにしても私の記憶の精度が甘いので、これからの記述は思い込みとかそういったものになる。なので下手すれば彼らが言っていないことを書いてしまうかもしれないので、逆に調べない方がいいだろうと思おう。むしろここからは私の考えだと思っていただければ。

 

 

まず脳学者としては、恋愛とは人を繁殖行動に導くためにあるシステムで、そのために脳は多幸感を与えるように動く。そう、脳が脳を騙すような状態だ。簡単に言えばそれだけなのだが、実際にはちょっといいなと思ったところから、デートなりを積み上げてゆき多幸感を増してゆく必要があるのだが、そのプロセスは人それぞれ。一目惚れもあれば3年越しもある。

失恋とはその多幸感を一気に失うこととなる。

 

 

社会言語学者は、これに対して時代による区分があるという。この辺りの話は家事をしながらだったからうろ覚えだが、失恋ソングは昔は男歌が多かった。ムード歌謡や演歌とかだな。そしてシンガーソングライターの時代になって女性の失恋ソングが出てくるが、共通するのはなんで別れたのかどちらが悪いのかというのがわからずメソメソする。だが多幸感の喪失だから男女差が出てくる。

男は今でもお前のことは忘れらないぜ、とメソメソ言いながらカッコつけたがる。やっぱりお前はいい女だったとか、別れ際は綺麗にしてやるとかだ。それでいて、別れた女とよりを戻したいという曲やよりを戻した曲がある。

女は、カッコつけない。直接的に「恨む」し「なかった」ことにする。

で、これは男女差ということになる。ちょっと別な人の意見が入っているな。

 

 

わかれうたで最近の特徴は、別れがポジティブになっているということだ。確かにそうだ。「あなたとの月日は楽しかったし、無駄ではなかった」そう言った歌は女歌にはあったが、男歌にも出ている。「あなたのおかげで成長できた」となれば何か意趣返しの感もあるが、ポジティブすぎるほどだ。特にアイドルグループでは、メソメソは個人的なものなので、難しいようだ。

理由はSNS等でコミュニケーションが緻密になりすぎた結果、メソメソできなくなったということだ。緻密なコミュニティの中では恋愛から失恋はコミュニティにとて自明のものだが、それがさらに問題になる。みんなわかっているからメソメソされるとコミュニティが崩壊しそうになるのだ。だから早く立ち直るように要求されるわけだ。

距離が近くなりすぎた結果なのだ。

 

 

その点我々の時代は長閑だった。対面でないとコミュニケーションではない。手紙はなかなかに難しい。そして電話すら持てない時代だった。それが携帯になりすれ違いドラマがなくなり、SNSで遅延上等のリアルタイムコミュニケーションになった。

恋愛の構築性が緻密になりすぎた結果、失恋が重くなりすぎたとも言えるだろう。

だからこそさっさと見切らないといけないのだ。

 

 

まあだから、もう恋なんてできないんだろうなと思う。今の緻密な空間に耐えられないと思う。

 

 

人生はわかれうただよ。どう抗ってもね。