今年のシルバーウイークは長かった。確かに水・木・金と休みを取れたら9連休だ。私には関係ないけど、世の中それで人の動きが変わる。その流れの中で右往左往していたという気がする。
確かにベアレンのオクトーバーフェストとかイベントはあったし、ゴジラ映画もあった。だがなんか少し浮かれていたような気がする。シルバーウイークの流れだったのかなと今だと思う。
以前からイタドリの花を撮りたかったのだが、なかなかいい個体がなくてようやく撮れた。
また60過ぎの親父と喧嘩してしまった。どの年代にも自己評価がおかしな人がいるわけだが、年をとると儒教的な権威があるもんだからこちらもどうかとは思うのだが我慢しているうちに、何かつけあがってくるわけだ。今までも色々あって我慢していたのだが、彼のやり残した仕事をかだつけたのに、それをわかっているのに何にも言わない。ブチきれて「何か言葉はないんですか」と言ったら、「その程度でありがとうというのか?」。中間省略して、「頼んだ覚えはない」。いやあんた、どう考えてもその仕事こっちに押し付けただけでしょう。どうせやんなかったらそれはそれで文句言うんでしょう。
まあ理論性のない暴言がいっぱいあったのですが、どう考えてもこちらが年下だから言っているだけなのだ。だが互いに棺桶に片足突っ込みつつある年齢だろう。こちらとしても自覚はしているが、後世のために少し喧嘩しておく必要がある。
ただ年が思いっきり離れていればどうでもいいのだが、これが10年後の私かもしれないと思うと、ただ事ではない。
イヌサフランが咲いていた。イヌというのは役に立たないという接頭語だが、この花はコルチヒンというアルカロイドを含んでいる、毒草だ。インディアンが奴隷の苦痛に耐えかねて食べたというのを大叔父から聞いていたが、原産地は北アフリカから南欧なのでどうもこの伝説は合わない。
むしろ痛風の薬になったり、植物の遺伝子を2倍に増やし4倍体にして、植物の品種改良に役立った歴史がある。ただ毒草であるのは間違いなく、芋一個を食べてはいけない。
なんで、毒草に詳しいのかといえば大叔父だな。あれほどの変人も滅多にいないが、正しく権威を振りまいていた人だったなと、今から思えばその凄さがわかる。
リゲティを聞くうちに、フリージャズってなんだったんだろうと真面目に思うようになっている。現代音楽の連中は戦前からジャズを取り入れて、そこから何かを絞り出そうとしたのだが、ジャズはクラシック=旧体制と考えていたのだろうか。だから相互影響がなかったのか。
キース・ジャレトの凄さはまさにそこにあるのだろう。ヨーロッパにあるオルガンの伝統的即興演奏や現代音楽を取り入れつつ、インドのシタールやバリのガムランの要素を入れつつ(それらは既に現代音楽の中に入っていたのだが)、それをインプロビゼーションと呼び、フリージャズと一線を画したというのが、偉大なのだろう。
ただキース以前に、キースが霞むような曲がいっぱいあったというのは事実だ。そこを確認すればするほど、キース・ジャレットがあの頭の固いジャズマニアから拒絶されたのもよく分かる。
そういえば響の熱田氏が、置いていったシュニトケの交響曲の2番をかけていたら、客が来てうろたえたという。お客さんは「これはこれでいい」と言ってくれたようだが、ハラハラなのは私も思う。
でも、シュニトケもリゲティも現代では大過去の作曲家なのかもしれない。間違いなく今のコマーシャルから映画音楽まで、特にシン・ゴジラでは影響が見られた。そう、これは大過去の音楽なのだ。