水上陽平流の表現でいろいろな事を書いています。本館は http://iiki.desu.jp/ 「氣の空間」
幸の項(こうのこう)
最初から幸に包まれている。
そういう表現でもいい。
ただし、宗教関係者は誘導する。
(この宗教の)神様が包んでいる・・・
神の概念により、その表現でもいい。
だが、全て包んでいるのだから言わなくてもいい。
その宗教を信じている人だけ特別は無いだろう。
信じる者だけを救うような神は、インチキだ。
幸は神や神様と別次元だ。
神や神様が幸を運ぶわけじゃない。
宗教組織は神や神様の名前を利用している。
幸は神に関係なく、アナタに付いている。
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
幸の項(こうのこう)
この世では真実の幸はつかめない。
自分が真実でないからだ。
真実とは変わらないモノ。
だが、この世は自分を含めて無常である。
この世での「幸」は、この世専門の幸だ。
それならある。
だだし夢や(欲)望と混同しないでくれ。
夢や望みは、心が求めるものだ。
心は非常に不安定で不規則だ。
それは、それでいいものだけど・・・
真実の幸を求めると、不幸になる。
有限の時間を無駄にするからだ。
この世での幸は「有限の幸」なのだ。
有限だから、肉体に付いている。
生まれた時から、死ぬ時まで付いている。
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幸の項(こうのこう)
ホンモノの幸せを求める。
それが間違いだった。
ニセモノの幸せを求める。
それらは、結構つかんでいる。
安易に使われる言葉がある。
「夢は叶う」
この場合の夢は現実的だ。
だから、叶いやすい。
主軸を成すのは金だ。
幸せの代名詞としても使われる。
そういう幸せならつかめる。
現につかんでいる人達が大勢いる。
もちろん、条件があるだろう。
ワシもニセモノの幸せが欲しいのだが・・・
その条件にも当てはまらないようだ・・・
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幸の項(こうのこう)
この世は舞台。
舞台上で本名は通じない。
演技上で本職は通じない。
舞台では舞台用があるのだ。
キマジメな弟子達。
舞台なのに真実を迫った。
本名を求めた。
本来の仕事を求めた。
真実を求める事を煽った。
不幸なのは信者達。
自分の人生を他(宗教)に求めたからだが・・・
真実の幸福を求める。
真実の天国を求める。
現実(この世)を無視して・・・
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幸の項(こうのこう)
偉大な宗教の欠陥。
立派故の落とし穴。
真実に迫った功績。
その功績は、落とし穴になる。
教祖といわれる偉人。
彼等は、どうやら知っていたらしい。
真実は人々を救えない事を。
だから、無理は言わなかったようだ。
真実を欠陥にしたのは弟子達。
組織を作り上げた人達だ。
教祖は組織を望んでなかったろう。
マジメで熱心な弟子達。
真実を求める「こだわり」が欠陥にした。
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幸の項(こうのこう)
幸が掴めなかった理由。
宗教が口先だけだった理由。
信者が幸になれなかった理由。
信者となって、苦が増えた理由。
それは宗教が真実を求めていたからだ。
金儲け目的の宗教は別だ。
真実を最初から相手にしていない。
信者を利用する事だけが目的だ。
何しろ、信者だもの。
こんな優良なユーザーはどこにもいない。
問題は既成宗教だ。
立派な教祖と立派な経典がある大宗教だ。
仏教、キリスト教、イスラム教等だ。
立派である故に、誰も救えない・・・
この世は真実と適合しない世界なのだ。
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幸の項(こうのこう)
真実の幸と感じた人はいる。
幸福感は誰でも感じるようにできている。
それが無ければ、生きる力も半減する。
だが、幸福感は真実の幸ではないのだ。
幸福感は、そのまま一生続かない。
心は揺れ動くし、状態は変わる。
時は止まる事なく動いている世界だ。
色界(物質界)は、時の変化とセットなのだ。
今、生きている事が幸福。
これが真実の幸である。
そういう言い方もアリだと思う。
アリだけど、不変理屈の世界だ。
現実は、変化している世界だ。
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幸の項(こうのこう)
真実の理。
真実の愛。
真実の幸。
真実の○○・・・
真実を語った人は多い。
真実を騙った人も多い。
真実を書いた本も多い。
真実を売り物にした人や組織は最も多い。
それらに接して、真実になった人はいない。
真実の○○を手にした人はいない。
一瞬の幻ならある。
だが、真実は永遠で不変なのだ。
地球上の人間に扱えない・・・
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幸の項(こうのこう)
今、この世に存在している。
だから「幸」も「この世の幸」が対象だ。
「真実の幸」は、持て余してしまうだろう。
活用しきれないだろう。
自分が真実でないのだ。
毎日、毎秒変化しているのだ。
そして、いつかは消滅するのだ。
もちろん、この世の自分だ。
本当の自分は消滅しないらしい。
この世は真実を追究する場ではない。
真実は無限で不変だ。
この世は有限で無常な世界だぜ。
有限で無常な幸なら、適合するだろう。
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幸の項(こうのこう)
幸の幾つかの性質。
幸の幾つかの顔。
それらは解る。
解っても手に入るわけじゃない。
追いかけても捕まるわけじゃない。
本当の幸。
真実の幸。
それらと、この世での幸は違いがあるようだ。
真の生命と、この世での生命の違いのように。
この世は仮かどうか知らない。
だが、あの世とは違う(当たり前だ)
真の世界(実相界)とも違う。
もちろん、反映し影響しているだろう。
仮かどうか知らないが、この世という世界ではある。
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