もののはじめblog

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必ずコメントに参ります by iina

温泉

2018年02月10日 | 
温泉は iina~!  いい湯だな~!  当ブログで扱った温泉を集めました                                        . . . 本文を読む
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空路

2017年11月11日 | 
↑ 北九州空港 → やまなみ海道                        瀬戸大橋     明石大橋と淡路島 神戸界隈                       台風一過で大阪湾に河川から土砂流れ込んでいる 大阪城                                  三河湾 蒲郡 竹島&三河大島 ↓ 駿河湾と伊豆半島付け根・沼津港辺り 城ヶ島と富士山 . . . 本文を読む
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萩藩の毛利家

2017年11月09日 | 
東光寺は、萩藩主毛利家の菩提寺。黄檗宗。 上が三門(国重文)、下は大雄宝殿(国重文)。 萩藩主 毛利家墓所(国指定・史跡) 御廟(おたまや)ともいう墓所には、3代藩主から11代までの奇数代の藩主と夫人の墓が正面に、それらの左右と入口手前に一族関係者(子、孫、側室、侍女ら)の墓。 墓石、石碑、石灯籠の約500基が整然と立ち並ぶ光景は圧巻。 寺院の墓なのに、なぜか鳥居。 萩城址  毛利輝 . . . 本文を読む
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松陰生家&墓所

2017年11月08日 | 
杉家、吉田家、玉木家、久坂家一族と高杉晋作などの墓所 ↑ 松陰も眺めた萩の町 (生家より) 吉田松陰と吉田大助(松陰の養父)の墓 [松陰が処刑された小塚原刑場]     高杉晋作の墓 松陰と金子重輔の銅像                     生誕家の間取り    金子重輔は、松陰と共に黒船で密航しょうとした。           << ⑨もどる <      > つづく >> . . . 本文を読む
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松下村塾

2017年11月07日 | 
幕末期に吉田松陰が主宰した私塾。 平成27年に世界遺産登録。 松本村と呼ばれていたことから「松下村塾しょうかそんじゅく」と名づけた。 松陰は身分や階級に拘わらず塾生として受け入れ、わずか1年余りに久坂玄瑞、高杉晋作、伊藤博文、山県有朋、山田顕義、品川弥二郎など、明治維新の原動力となり、明治新政府に活躍した多くの逸材を育てた。 左は、松陰幽囚の旧宅で此処も松下村塾と同 . . . 本文を読む
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小倉城

2017年11月05日 | 
小倉城の歴史は、戦国末期(1569年)、中国地方の毛利氏が現在の地に城を築いたことから始まる。 その後、関ヶ原合戦の功労で入国した細川忠興によって1602年に本格的に築城した。 細川氏熊本転封の後には、播磨国明石から細川家と姻戚関係にある譜代大名の小笠原忠真(ただざね)が、1632年に入国。 隣の八坂神社は、七月に斎行される例大祭「小倉ぎおんまつり」で『太鼓の祇園』としてその名を馳せている。 . . . 本文を読む
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湯布院

2017年11月03日 | 
金鱗湖(きんりんこ) 明治初期の儒学者・毛利空桑が、湖で泳ぐ魚の鱗が夕日で金色に輝くのを見て「金鱗湖」と名付けた。 湖底から清水と温泉が湧いているといわれ、年間を通じて水温が高いため、冬の早朝には湖面から湯気が立ち上る幻想的な光景を見ることができるらしい。 ←山あいからの湯気が上がる やすらぎ湯の坪横丁 町名とインターチェンジは「湯布院」で、駅名と温泉名は「由布院」。 し . . . 本文を読む
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磨崖仏

2017年11月02日 | 
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ミニ ナイアガラ

2017年11月01日 | 
 ―原尻の滝― 遙か昔、阿蘇山の大噴火で発生した火砕流でできた溶岩台地を、緒方川の水が長い年月をかけて削り落として、このような景観が誕生したという。 溶結凝灰岩が崩落して滝ができたもので、崖面の柱状節理に沿って流れ落ちる。 滝下流の木造吊橋「滝見橋」を渡り上流の沈下橋を巡って滝のまわりを一周してきた。 川に立つ鳥居は、緒方三社の内の二の宮社鳥居。 伝説では、緒方三郎惟栄が元宮から3本の矢を . . . 本文を読む
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岡城

2017年10月30日 | 
大手門への登り坂      カマボコ石 城跡はかなり広かった。 山奥の岩盤台地に築かれていて自然の要塞になっていた。石垣が切り立ち、いまでも姿はキリリとしていた。それでいて、登りに沿った石垣の上部を丸くして手すりみたいな半円柱状の石(カマボコ石)に整えていた。 城の形が牛の寝ている姿に似ていたことから別名が「臥牛城(がぎゅうじょう)」。 岡城は、文治元年(1185)緒方三郎惟栄(これよし)が源義 . . . 本文を読む
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宇佐風土記の丘

2017年10月29日 | 
宇佐風土記の丘は、駅館川やっかんがわ東岸の台地に広がる。 この丘には、九州最古の前方後円墳である赤塚古墳(3世紀後半)をはじめ、6基の前方後円墳が築かれている。その周囲には大小多数の小石室古墳、方形周溝墓が散在。 これらの古墳群に埋葬された人たちは、3世から6世紀にかけて宇佐平野を支配していた宇佐国造家の首長たちだと考えられている。 この隣に、大分県立歴史博物館が建っている。 埋葬した墓が沢 . . . 本文を読む
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大分県立歴史博物館

2017年10月28日 | 
神仏習合した国東半島の六郷満山仏教文化を、神社仏閣と摩崖仏等の復元模型にして分かりやすく展示。 前に国東半島を巡り、テレビ番組が半島とこの博物館を案内したので是非とも訪ねたいと思っていたのを果たせた。 ←富貴寺大堂(国宝)の阿弥陀如来像(重文)  (いずれもレプリカ) 館内                                      虚空蔵寺三重塔 宇佐神宮 境内  . . . 本文を読む
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宇佐界隈

2017年10月27日 | 
龍岩寺 奥院岩の窪みに張り付くように建てられた懸造の仏堂 天平18年(746)行基開山。宇佐神宮参拝の折、龍女に導かれて仙人窟に至り楠の大木から一木三体の仏像を一刀三礼にて一夜に彫ったと伝わる。 鎌倉時代の木造建築物・奥の院礼堂と白木の三尊像は共に国の重要文化財。礼堂の床下に懸けられている「きざはし」(丸太ばしご)は、此処と伊勢神宮にしかない珍しいもの。 三尊像は、ご覧のように石仏と思うほどつる . . . 本文を読む
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熊野大社

2017年07月04日 | 
熊野大社は、大同元年(806年)、平城天皇の勅命により再建されたと伝わる。熊野修験の霊場としても栄えた。 [山形県南陽市] 熊野大神様は、イザナキノミコト・イザナミノミコトの別名をもち、両方に共通する「イザナ」は、「誘(いざな)う」からきたもので、男女の愛の言葉を表現したものと考え、日本ではじめての夫婦の神様、縁結びの神様としても祀る。 彫刻が見事で、本殿東西に鳳凰頭は、 国内でも最大級の . . . 本文を読む
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武家屋敷

2017年07月02日 | 
山田家武家屋敷が、山形の上山(かみのやま)に四軒が並んでいる。 【山田家】は、住んで生活しているため庭先のみ見学可能。 【三輪家】(有償)を見学すると、庭先がむっとする暑さなのに、部屋はとても涼しい。冷房しているのかと係員に尋ねると ”かやぶき屋根”なので室内は夏は涼しく、冬は暖かいと説明してくれた。 三面を縁側にした座敷に座って説明を受けると、明るくてとても涼しく居心地がよかった。 . . . 本文を読む
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