林泉寺
2代上杉景勝のときに、越後から会津を経て米沢移封となり現在地に移った。
景勝の母は、謙信の姉(仙洞院)で上杉家に貢献した中興の人と称えられている。
上杉家の墓所には、奥方・子女26基、支侯16基の墓がある。
また、米沢城下町創設の恩人、直江山城守兼続の御廟所ともなっている。
直江兼続、夫婦の墓 →
上杉家墓所
仙洞院の墓(景勝の母、謙信の姉)
甲 . . . 本文を読む
山寺
2018年06月17日 | 旅
山寺山門
立石寺・通称『山寺』本堂 根本中堂 清和天皇の御宝塔
芭蕉と曽良の像 閑さや岩にしみ入る蝉の声
弥陀洞 →
芭蕉せみ塚辺り
仁王門・・・白い花はシャガ
↓
←百丈岩にそびえ建つ、納経堂と開山堂
五大堂
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中央階段室
旧県庁舎(現・山形県郷土館)愛称・文翔館(ぶんしょうかん)は、大正5年に建てられた英国近世復興様式のレンガ造りの建物で、外壁は花崗岩の石貼り。
国の重要文化財。無料公開していて、駐車場も無料。
左は正庁で、上は漆喰飾天井。
貴賓室
知事室
会計・出納係
最上川を軸とした展示コーナー 手前は街頭テレビを見る群衆
中庭 赤レンガ
県会議事堂と下はその裏手
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山形城
2018年06月14日 | 旅
最上義光騎馬像 ―出羽山形藩の初代藩主―
山形城は、1357年に斯波兼頼が築城した輪郭式平城。
最上家の先祖は、清和源氏足利家の一族である斯波氏からの分家で、室町幕府より地名の役職を与えられて最上氏を称し1357年に初期の山形城を築いた。
そして、関ヶ原の戦いの功績で最上義光(よしあき)は57万石の大々名になると、実質100万石の城下町として繁栄した。
別名が霞城(かじょう)、霞ヶ城(かすみが . . . 本文を読む
平和観音 : 昭和23年より6年をかけて戦没者の慰霊と世界平和を祈念して彫られた。
高さ27m、胴まわり20m。
大谷観音
大谷寺(おおやじ)本尊の千手観音(高さ4m)は日本最古の石仏といい、平安時代(810年)弘法大師の作とも伝えられる。
脇堂の釈迦三尊・薬師三尊・阿弥陀三尊の合計10躰の石仏が彫られている。
西の臼杵磨崖仏に対し、東の磨崖仏といわれる。
池の . . . 本文を読む
鬼怒川・川治の景勝は、今から2200万年前に海底火山から噴出した火山岩が鬼怒川の流れによって侵食され、現在のような景観になったといわれる。
虹見橋からは「虹見の滝」「五龍王神社」が景色にアクセントの味わいを添える。
大谷石おおやいしの採掘の歴史がわかる資料館。
軽くて軟らかいため加工しやすく、さらに 耐火性に優れている。
展示場には採掘が本格的に始まった江戸中期から昭和34年頃 . . . 本文を読む
ばったり小屋の奥に水車小屋
前沢曲家集落は、文禄年間(1592年~1595年)に、只見川流域を拝領した横田城主の家臣・小勝入道沢西が、主人が滅んだのちに移り住んだ「中世の会津武士が拓いた集落」。
曲家(まがりや)とは、L時に曲がった住まいのこと。
手前の突出部に農耕や運搬に欠かせない牛や馬を、その奥に生活の場とし、牛馬と人とが同じ家の中に暮らした。
ツバメの巣
大杉跡
稲荷神社の神木で「 . . . 本文を読む
「塔のへつり」
大川ラインの一番の景勝地 百万年の歳月をかけて、浸食と風化を繰り返し奇岩の景観を造った。
「へつり」とは会津方言で、川に迫った険しい断崖のこと。
←虚空像菩薩。
会津鉄道
湯野上温泉駅
駅舎は珍しい茅葺き屋根で囲炉裏がある。
会津若松・喜多方方面から浅草に通じている。
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観音沼
2018年06月06日 | 旅
東北道の白川ICを下りて福島県下郷町の観音沼森林公園に着く。
嶽観音堂(だけかんのんどう)
素朴なたたずまいなのに、お堂の彫り物は立派。
坂上田村麻呂の建立と伝える。
沼一周1200mを歩くと、浮島や木立の沈む姿が印象的だった。
下の辺りに水芭蕉が咲くらしい。
日暮滝(ひぐらしのたき)
高さ40mと15m二段になって流れている滝。
その神秘な景観に「日暮れまで眺めていても飽きない . . . 本文を読む
袋田の滝
2018年04月05日 | 旅
吊り橋
袋田の滝は、日本三名瀑の一つ。
大岩壁を四段に滝が落下することから、別名「四度(よど)の滝」とも呼ばれる。
西行法師が「この滝は四季に一度ずつ来てみなければ真の風趣は味わえない」と絶賛したとも伝える。
袋田の滝は、入場券のように凍ってなかったが勢いよく流れ落ちていた。今年は2年ぶりに凍った。
竜神大吊橋
長さ375m、歩行者専用として「日本一長い . . . 本文を読む
磐梯山
2018年04月04日 | 旅
猪苗代湖 ↑
飯豊山(いいでさん)
母畑温泉ぼばた 八幡屋
開湯伝説によると、平安時代、奥州を訪れた八幡太郎義家(源義家)が、戦いの中で負った馬の傷を此地の谷川の水で洗ったところ、傷が数日で治ったとある。
なお、此の地にある母畑温泉元湯神社に源義家が母衣(ほろ)と旗とを奉献させたことから母畑(ぼばた)の地名になった。
もどる つづく . . . 本文を読む
鶴ヶ城
2018年03月30日 | 旅
会津若松城こと鶴ヶ城
西出丸から入った帯郭辺り 北側 太鼓門辺り
1384年、蘆名氏が築城し黒川城と名づけた。
伊達政宗が豊臣秀吉の制止を無視し蘆名氏を滅ぼし城を手にするも、政宗は1590年に秀吉に臣従し、会津を召し上げられた。
代わって蒲生氏郷が入城し七層の天守閣を完成させ「鶴ヶ城」と名を改めた。次に上杉景勝が120万石で入封。
関ケ原後16 . . . 本文を読む
天鏡閣
2018年03月29日 | 旅
(てんきょうかく)重要文化財 明治41年8月竣工。はじめは有栖川宮の別邸として建てられ、のち高松宮別邸となった。明治の香りを伝える皇族用別邸。
ルネサンス様式の意匠をこらした館内は明治の香りを伝え、大理石製の暖炉飾り、シャンデリアの調度など極めて豪華なつくりの洋館。
たくさんの部屋に、暖炉と応接セットが多かった。
食堂 客間
撞球室( . . . 本文を読む