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四條畷の楠

2013年03月17日 | 歴史街道
四條畷楠木正行墓のクスノキ


南北朝時代の正平3年(1348年)、四条畷しじょうなわての戦いで小楠公しょうなんこうこと楠木正行クスノキまさつらが足利尊氏の武将高師直こうのもろなおの大軍と戦い敗れて自刃し、その地に葬られた。

正行の死後、小石碑が建てられたが、石碑の両側に2本の楠木が植えられやがて1本に合し、その石碑は木の中に入り込んでしまったという。

明治23年4月に、墓所前の道を山手に真っ直ぐに行った飯盛山の山麓に正行を主祭神とする四條畷神社が創建された。
楠木正行といえば南朝の忠臣・楠木正成まさしげの嫡子で、正成を大楠公だいなんこうと称するのに対して正行は小楠公と呼ぶ。ちなみに正成は神戸市の湊川神社に祀られている。また京都・嵯峨の宝筐院には正行の首塚と伝わる石塔がある。


 <注>
 写真は、15年ほど前に撮影。


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9 コメント

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青葉茂れる桜井の (らいちゃん)
2013-03-17 05:59:28
楠正成と言えば楠公の歌「桜井の決別」を、昔お袋が歌っていたのを子供の頃よく聞きました。
「青葉茂れる桜井の 里のわたりの夕まぐれ」から始まる歌で何番もある長い歌だったように思います。
今でもこの歌の出だしと節廻しはよく覚えています。

そうですね、早合点していました。
確かに「レイに扮したジェイミー・フォックスがアカデミー賞主演男優賞をとった」と書かれています。
読解力が無いですね。
失礼しました。
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(らいちゃん) へ (iina)
2013-03-17 10:41:01
楠公の歌を、おさないころから耳にしていたとは、さすが関西ですね。
新選組fは、大阪では相撲力士と乱闘するなど騒いでますから、そんな時代に暮らしてなくてよかったです。

「頭から尻尾の先までたっぷり」の記事に、ジェイミー・フォックスを書かず誤解を生みました。そのため、意味が
通じるよう原稿に加筆しました。 m(_ _)m
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でっかいクスノキ (ムツゴロウ)
2013-03-17 12:21:31
写真におさまりきれないほど大きな楠ですね。

しょうなんですか、マサツラが小楠公で、吾輩のツラにぬるのがナンコウ(軟膏)どした。

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南北朝時代 (「のべR山会」のK)
2013-03-17 17:40:27
四条畷(しじょうなわて)の楠
南北朝の時代を代表する武将として「足利尊氏」や「楠正成」の名前だけは存じていましたが・・・・
この大きな楠の画像を拝見しながら、楠正成・正行親子のことについていろいろなことを学びました。
「歴史街道」ためになるなあ~良いなあ~と、つくづく思う次第です。
(らいちゃん様)がコメントされている
 ♪~青葉茂れる桜井の・・・・ 
この歌は、私も子供の頃聞いたことがあります。
懐かしく思い出しましたが、楠公のお歌だったとは~初めて知りました。

神様は~?
神話の里、宮崎県に生まれながら~余り(~と言うか、何も)知らなくて申し訳ないです。
勉強不足ですね
但し、降臨の地は霧島(高千穂の峰)か、高千穂町(二上山)かは未だに謎の様です。
(ににぎのみこと)のこと、調べていただきありがとうございました。
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おふたりに コメントします (iina)
2013-03-18 08:49:26
(ムツゴロウ) さん へ
この楠は、街中に立ってますから、風情をこわさずに全景を撮れなかったのなと思います。
ナンコウからみのご愛嬌をありがとうございました。 m(_ _)m




(「のべR山会」のK)さん へ
タイトル写真をあるいは国東半島の並石ダムグリーンランド・こっとん村の鬼城岩峰から撮ったのかと思いました。
池と山麓の風景は、よくあう組み合わせです。http://blog.goo.ne.jp/iinna/e/509f3f2c16102b7c0ef8de8ac6728f7c

ショウジョウバカマというのもショウジョウバエを連想しました。似ても非なる姿でした。面白い名をつけるものです。

ブログをいろんな方の手を通じて面白く拝見しています。
これから、桜が満開になると、水面に花びらが浮かぶなど風情が増します。さらには、花見でお酒で盛り上がる
ことでしょう。
アルコール度0のビールを山に持って行ったことがありますが、度のあるのと飲み比べると登山後の汗をかいた後
では、度のないビールの方がさっぱりとして喉にさわやかでした。
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軍人だった父が (更家)
2015-01-01 14:19:53
四条畷の楠が、こんなに立派なのは知りませんでした。

職業軍人だった父が、”♪~青葉茂れる桜井の♪~”とよく歌っていたので、子供心に歌詞は全て覚えています。
この場面の歌だったんですね。
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(更家) さん へ (iina)
2015-01-02 12:14:04
どじょうは泥臭そうですが、「駒形どぜう」は珍味ながらさっぱりして美味です。
ふたりで行けば、どじょう鍋と柳川鍋を一品ずつ注文してつつき合うのも好いですよ。もちろん、をお供にすると更にたのしめます。^^

やはり、この駒形どぜうでは、一階の畳の間に風情があります。
http://blog.goo.ne.jp/iinna/e/29d72a434a4ff3297f9953f65f7677b5

昨年にどぜうを食べたくなり、寄席の前に寄って食べました。それには、浅草演芸ホールに近い「どぜう飯田屋」がおすすめです。此処もウマいです。
http://r.gnavi.co.jp/g498600/

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飯盛山 (コスモタイガー)
2020-06-30 16:23:25
四条畷の飯盛山!
屈ブログのネタバレになってしまうのですが、ちょっと前(コロナ以前)に、近くを素通りしてしまいました。
まぁ自分の場合は、その道自体が目的ではあるのですが…。

そうです。
最新の研究により、茶臼山古墳でなく、隣の今城塚古墳こそ継体天皇陵というのが通説になているようです。
先日、NHKでも「歴史ヒストリア」でしたっけ?
継体天皇を扱っていましたが、やはり今城塚古墳に眠っている前提になっておりました。

掲示板もyoutubeも、本来は便利なツールですけどね。
結局は利用する側のエチケットやマナーの問題も大きいかと。
自分本位な人間は、悲しいかな、どこにでも一定数いるものですね。
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(コスモタイガー) さん へ (iina)
2020-07-01 09:31:54
大阪といえば、「天王山」です。

富山から大坂に転勤したとき、真ん前に見えるお山を天王山と思いましたが、ちがって「生駒山」でした。

JR山崎駅は、毎度通過する駅でしたが、岩清水八幡宮から天王山を眺めましたょ。
木津川・宇治川・桂川が合流し淀川となる地点を挟み、天王山と対峙する位置にありますから、
    天下分け目の天王山の攻防をイメージして、彼の地の利をしばし思いました。
https://blog.goo.ne.jp/iinna/e/a6ce5f06b3d7ed9832f3cee021aed43e



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