関帝廟は、三国志で有名な関羽を祀る。
奥に媽祖様が艶やかで微笑えみ鎮座する。海の女神様。
日本開国後、中国人も商人や職人として横浜を訪れ、外国人居留地で生活するようになり、1862年に一人の中国人が関羽の木像を抱いて、現在の中華街にささやかな祠を開き、此れが横浜の関帝廟のはじまりとなった。1871年に華僑たちの募金によって、本格的な関帝廟が建立された。
『三国志演義』の諸葛亮と並んで人気のある武将の関羽は、義を重んじたため後世の人間が神格化し関帝(関聖帝君)とし、商売の神様と崇め華僑の信仰を集めている。
一方、「媽祖(まそ) 」も実在の人物で今では航海を護る海の神様また自然災害や疫病戦争・ 盗賊から護る道教の女神さまとして健康や縁結びにご利益があると信仰されている。幼いころから不思議な霊力を持ち、 28歳で天に昇り神となった。
中華街の門って、どこの国でも
中華街は一緒ですね。 なぜ文字が右から始まるのかいつも疑問です。
三国志の玄徳、孔明などでなく、関羽が横浜のこの地に選ばれた理由が知りたいものですね。
艶やかに微笑まれている天上聖母(媽祖)さんや関羽さんに祈願をするとご利益がありそうな気がしてきました。
しかし、現在の中国は微笑み外交の裏側に、軍事力を嵩(かさ)にした領海侵犯から領土の略奪を目論んでいる節があり、御利益どころか大きな不安材料となっています。
中国との付き合いは裏を読まないといけませんね。
武神と親和の神さまなら分かるように思われます。
中華料理が好きだったのでしょうか?
ワシはいくつになっても神にはなれないので、紙にでも乗るか。
媽祖(まそ)ってかた実在の方で28歳で天に昇り神となった・・・すごいなぁ~♪
黄忠、馬超、趙雲、張飛、関羽。
五虎将の一人です。
呂布との戦いは壮絶なものでした。
真剣に見学した記憶が無かったですが、
今度見て見ます。
「濃くさい」な 「くさい」 話題でした。
あるいは、こんなコメントも想定内だったりして。(^_^;)
>文字が右から始まるのかいつも疑問です。
中国に限らず日本でも明治くらいまでは、このように綴っていたようですよ。
アルファベットは左から右に書き進めますが、縦書文は右端から下に書き、右から左に書き進む
ことに由来するのでしょうか。
(筑前の国良裕) さん へ
バラは百万本ほどでしょうが、コスモスなら10倍多い1000万本をアピールにしたのでしょうか。
>関羽が横浜のこの地に選ばれた理由が知りたいものですね。
ブログ本文に追記しましたが、関羽が信義に篤かったところが商売にも重要だからと
商売の神さまにされていたことから、横浜に来た中国人が奉ったそうです。
(らいちゃん) へ
記憶の彼方に忘れていた「はないちもんめ」を思い出しました。
勝ってうれしい花いちもんめ負けてくやしい花いちもんめ
と、グループをつくって遣り合ってました。
重さの「匁(もんめ)」も使った記憶がありません。
混同してましたが、媽祖廟は関帝廟とは別の場所に鎮座していました。
こんど取材してきます。m(_ _)m
http://www.yokohama-masobyo.jp/jp/access.html
(ムツゴロウ) さん へ
関羽が、商売と結びつくのは意外に思えますが、信義を重んじたところが商いに通じると
商売の神さまになったそうです。
このことを、はじめて知ったのは富山の祭りでした。八尾曳山にこの関羽が彫られています。↓
http://blog.goo.ne.jp/iinna/e/6360112d7e47089436f81afce8588c5d
(鷲谷芝嵐) さん へ
バイ貝の刺身が好物です。
街の飲み屋のつけだしに出る煮物のバイ貝は知ってましたが、富山で刺身のバイ貝のでかさ
とコリコリ感はお酒の肴に最適でした。
ところで、駅伝を先導する白バイの排気ガスは、ついランナーには毒だと思って見てしまいます。
媽祖様については、芝嵐さんご指摘のとおり、ま、そぅ いうことです。
(イヴォンヌ) さん へ
テレビ「世界遺産」に、今週に採りあげられていました。
アルプス山塊を掘って鉄道を敷くなんて凄い技術力です。山頂の駅から氷河トンネルも紹介
されましたが、幻想的な美しさでした。
一般の観光客もアルプス連峰の景観を一望できてしまうとは、本物を見て見たいものです。
ここに登れば、我々も神さまの気分にひたれそうです。
(ハイジ) さん へ
三国志の五虎将を列挙できるとは、ハイジさんも通です。
吉川英治の「三国志」を読みましたが、人生万事塞翁が馬ですね。励まされました。
変な目で見られて、さらに落ち込みそう。
こんど、何もしたくない時があったら、中華街にでも出て気分転換してください。
平日なら、2500円弱や1900円コースで全中華料理を時間無制限で食べることのできる
お店があります。
おためしください。