燃えるマッチ . . . 本文を読む
カモメに 腰越漁港のトビ
「腰越こしごえ」の由来は、むかし江ノ島に悪い龍が住んでいて、子供を呑んでしまったので「子死恋」と称したと伝える。(江ノ島縁起)
漁港の背後の小動岬(こゆるぎみさき)に鎮座する小動神社
腰越に間近な七里ヶ浜は、ご覧のように岩礁が現われていた。
青春している鳩
海鵜飛来
以上が、2月2日に江の島から稲村ケ崎までを6回に分けた記事だった。
また、別の日 . . . 本文を読む
「祭」は「月」と「又(また)」と「示」でできた文字。このうちの「又」はこれまでの説明どおり「手」の形。特に「右手」の形。
「月」は夜空の月ではなく、1枚の肉を表す「にくづき」。「月」の字形内にある2つの横線は肉の筋の部分。
そして「示」は神へのお供えものを乗せるテーブルの形。古代文字も現在の字形も大きな違いはないが、「示」という字形はテーブルの形だ。
従って、この「祭」は神へのささげものを載 . . . 本文を読む
満福寺は、讒言を受けた源義経が兄の頼朝との和解のため、鎌倉に入るべく一時宿所とし兄への手紙を書いた寺である。
満福寺が相模国腰越にあったため、その手紙を「腰越状」と呼ばれる。
弁慶が下書きしたと伝わる「腰越状」が残る。
弁慶の腰掛石、弁慶の手玉石があり、また「腰越状」を書く時に墨を摺る水を汲んだ硯の池、弁慶手沢の椀、錫杖等々がある……。
義経手洗いの井戸
開山は行基(668~749 . . . 本文を読む
柳生の里は、陣屋跡、家老屋敷、柳生一族の墓が点在する剣豪の里だった。
柳生石舟斎宗厳やぎゅうせきしゅうさいむねよしは、戦国末期に上泉伊勢守かみいずみいせのかみについて新陰流しんかげりゅうの秘伝を授けられ、新たに無刀の術を極め、柳生新陰流を創始した。
「剣は人を斬るに非ず、人を活かすにあり」と説く人を生かす「活人剣」こそがその極意とされ、それゆえに無刀取り(世に言う「真剣白刃取り」)という神技 . . . 本文を読む
稲村ヶ崎から小動岬こゆるぎみさき(腰越)までの2.9 kmほどの七里ヶ浜しちりがはまを、前に富士山を見ながら歩く。
「相模七里か浜(さがみ しちりがはま)」(富嶽三十六景)歌川広重
↑ ↑ 七里ヶ浜 ↑
江 小動岬 稲村ケ崎
の
島 >「江ノ電」に . . . 本文を読む
「ボート遭難碑」 富士山と江の島の絶景
「史蹟 稲村ヶ崎 新田義貞徒渉伝説地」
新田義貞は、干潟時にこの岬の南から鎌倉に攻め入った。
[ 稲村ヶ崎について ]
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仁王門(国宝)
金峯山(きんぷせん)は、吉野山のシンボルの一つで飛鳥時代の天武天皇のころ、修験道の開祖・役行者えんのぎょうじゃがこの金峯山を道場として修行し、蔵王権現を感得しその姿を桜の木で刻み、お堂を建ててお祀りした。 それが、この蔵王堂であり、金峰山寺きんぷせんじの草創である。
蔵王堂
銅の鳥居かねのとりい(発心門)↓
吉水よしみず神社も、役行者により建立されたと伝えられる . . . 本文を読む
ことし平成27年は、これといって特徴のなさそうな数の年と思いながらも、1か月が過ぎた。
ところが、2進法で書くと 「11011」 とあらわせ左右対称になるというから ちょっぴり愉快。
27の10進法の数式 ・・・ 2・101+7・100
27の 2進法の数式 ・・・ 1・24+1・23+0・22+1・21+1・20 つまり、「11011 」
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