女子寮の部屋には、それぞれ一人に一つのロッカーがありました。
母の部屋にもロッカーが備わっていましたので、その一つを拝借し
それを「新日本研究所」と名づけ、漠然と新しい日本を造るための
場所とするぞ、と一人でいきがっていました。
さて、“ロッカー研究所”の本部が決まり、今度はこれを宣伝
しなくてはと思い最初にその話をしたのが寮の浴場ボイラー係
をしていたKおばさんでした。
話をするとKおばさんも、なかなかの苦労人で「新しい日本」
の考えには賛同してくれました。
以来ボイラー室へはちょくちょく遊びに行きました。プールの
ように大きなお風呂だということなので、一度おばさんに頼んで
入浴させてもらいました。
ある平日の昼下がり、
「寮生はまだ帰らない時間だから大丈夫」とKおばさんに確かめて
もらって入ってみました。その頃、市内一般の入浴場(風呂屋)
では小学生までは男子も女湯に入れました。母と女湯によく一緒に
行きましたので、中1の私にはただの銭湯の延長の感覚でした。
中は想像通り大きなお風呂。これは広くて気持ちよいと一人で口笛を
吹いて上機嫌~♪
湯をばしゃばしゃかけては子犬のようにはしゃいでいました
しばらくしふと気がつくと、高い位置にある横長の窓になにやら動く
かすかな影を感じました。
「うむ??」
窓の方へ急に振り向いて僕は仁王立ち。
「あ~ア~」
影は男の顔でした!
その瞬間
ガターン!ドスーン!!
驚いて逃げた男が足場を失って外で倒れたような音がしました。
まるで、テレビのコントです。
突然のことでびっくりしました。
いや、驚いたのはのぞき未遂のチカン男の方だったかもしれません。
まさか女子寮浴場で、男子中学生の一物を拝むハメになるとは・・
さっそく桂先生こと母へ事の詳細を報告しました。
浴場に限らず、寮に面した道路でもチカンは絶えなかったようです。
わが家のような女子寮でしたが、お風呂は一度でこりごりでした。(つづく)
【写真】「東京サンヨー」社内報1961年新春号
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母の部屋にもロッカーが備わっていましたので、その一つを拝借し
それを「新日本研究所」と名づけ、漠然と新しい日本を造るための
場所とするぞ、と一人でいきがっていました。
さて、“ロッカー研究所”の本部が決まり、今度はこれを宣伝
しなくてはと思い最初にその話をしたのが寮の浴場ボイラー係
をしていたKおばさんでした。
話をするとKおばさんも、なかなかの苦労人で「新しい日本」
の考えには賛同してくれました。
以来ボイラー室へはちょくちょく遊びに行きました。プールの
ように大きなお風呂だということなので、一度おばさんに頼んで
入浴させてもらいました。
ある平日の昼下がり、
「寮生はまだ帰らない時間だから大丈夫」とKおばさんに確かめて
もらって入ってみました。その頃、市内一般の入浴場(風呂屋)
では小学生までは男子も女湯に入れました。母と女湯によく一緒に
行きましたので、中1の私にはただの銭湯の延長の感覚でした。
中は想像通り大きなお風呂。これは広くて気持ちよいと一人で口笛を
吹いて上機嫌~♪
湯をばしゃばしゃかけては子犬のようにはしゃいでいました
しばらくしふと気がつくと、高い位置にある横長の窓になにやら動く
かすかな影を感じました。
「うむ??」
窓の方へ急に振り向いて僕は仁王立ち。
「あ~ア~」
影は男の顔でした!
その瞬間
ガターン!ドスーン!!
驚いて逃げた男が足場を失って外で倒れたような音がしました。
まるで、テレビのコントです。
突然のことでびっくりしました。
いや、驚いたのはのぞき未遂のチカン男の方だったかもしれません。
まさか女子寮浴場で、男子中学生の一物を拝むハメになるとは・・
さっそく桂先生こと母へ事の詳細を報告しました。
浴場に限らず、寮に面した道路でもチカンは絶えなかったようです。
わが家のような女子寮でしたが、お風呂は一度でこりごりでした。(つづく)
【写真】「東京サンヨー」社内報1961年新春号
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