今年は2月3日は節分と初午が重なっているので各地の神社仏閣の豆まきに加え、お稲荷様のお祭りも重なり、見て回るのも大変なことでしょう。
季節にふさわしい昔の今戸焼の人形を、、と思いますが、節分の鬼となると出土品を含め、はてあっただろうか?と頭をひねります。確か最後の生粋の今戸人形師であった尾張屋・金澤春吉翁(明治~昭和19年)のお作の中に、泥面のひとつとして鬼があったような気がしますが手元にはなく、、。他に鬼があったかどうか、、、?外道の泥面はたくさんあったはずですが鬼とは別のように思えるし、春吉翁作の般若の泥面は残っていますが、これも鬼とは別。出土品には鬼に姿形が割と似ている雷様がありますが鬼ではない。
やはり初午つながりで狐であれば、今までご紹介した以外にもたくさん作られていました。画像の経木箱入りの招き狐は以前ご紹介した「枡入りの恵比寿大黒」と性格的に似ていると思います。当時の生産や販売方法は恵比寿大黒同様、際物屋さんとかおもちゃの問屋さんによッてコーディネートされたものでしょう。今戸焼の窯元で全て一貫生産したものではないと思います。
今戸焼屋さんは型抜きから素焼きまで行い(木地専門)、それを仕入れて、手内職で彩色するおかみさんたち(ちょうど落語の「今戸の狐」(骨の賽)の世界のような)がいて、箱は別のところで調達される。画像のものには残っていませんが、ガラスの蓋が紙で蝶番のように一辺固定されていて、ガラスの裏側から泥絵具でお幕が描かれていたのだと思います。以前ご紹介した「経木箱入りの天神様」と同じだと思います。
奥の山積みにされた小判は片面抜きでぴったりと底板に貼りつけられています。構図は恵比寿大黒のそれとほぼ同じですが、手前に宝珠が3つ積み上げられているのが異なります。
向き合う招き狐ですが、構図としては「太郎稲荷の向かい狐」に似ていますが、太郎稲荷のは手は招いていません。それとこの狐に関しては片面ではなくしっかり二枚型で背面もあります。彩色に関しては昔の今戸人形の公式とおり、手足や腰の境界を薄い桃色でぼかしています。(もっと古いものは鉛丹での擦り込み) 台座の繧繝縁風の彩色は天神様とほぼ同じですね。
今戸焼の招き狐については戦前浅草被官稲荷で授与されていたものや、画像のような狐、更に出土品に見られるような鉄砲狐型で招くものが存在するのですが、招き猫との関係でいうと、招き猫が先でその影響で狐も招くようになったのではないかと考えているのですが、どうなのでしょうか?また、画像のように経木に箱に収まった形のもので2体の招き猫が向かい合わせに招いているという構図のものが存在したのかどうか?あってもよさそうなものなのにまだ見たことがありません。春吉翁の作を含めてそれ以前の古い今戸焼の人形に向かい招き猫があったのかどうか、、、。今戸焼の招き猫の古いものの中には右招きも左招きも単独で存在する作例は確認できますが、2体一対で招くものがあったのかどうか、、、。あったら見てみたいです。
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