東京の土人形 今戸焼? 今戸人形? いまどき人形 つれづれ

昔あった東京の人形を東京の土で、、、、

「今戸の狐」ではない

2012-02-17 22:07:09 | 今戸人形(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

P1010241今日用事があって浅草へ行ってきました。用事が済んだあと被官稲荷様へ。

以前、とても残念な話をある方から聞いており、これまでも何度も目にしていたのですが、、、。

ここは新門辰五郎ゆかりのお稲荷さんでもあり、被官(ひかん)が東京訛りで仕官(しかん)に通じることから「仕事につく」という縁起かつぎでむかしから信仰の篤いお稲荷様です。それと、ここの玉垣には中村吉右衛門・中村時蔵・中村米吉(先代・勘三郎さんの前名)も残っています。

P1010238また、ここでは今戸焼の「鉄砲狐」がつい最近まで奉納されていたということで、知る人ぞ知る「生きた今戸焼」に出会えるところでした。今戸の白井さんのお作りになった鉄砲狐が初午で授与されていたのです。昔なら今戸の鉄砲狐はどこにでもあったものですが、瀬戸物製の狐が堅牢で色落ちしないなどの理由から戦前から既に、鉄砲狐は瀬戸物製の狐に駆逐されていたのです。幾分古い鉄砲狐は金杉通りの三島神社に残っていますが、今でもきちんと奉納されていた最後の砦はここだけではなかったでしょうか。

P1010239

しかしいつの間にか、奉納されている鉄砲風狐は今戸焼ではなくなっていました。どういう事情でそうなってしまったのかはわかりませんが、今こうして並んでいるのは京都で作られたものなのです。手を合わせてから狐さんの底を見させてもらいました。おわかりになりますか?底があります。本来の鉄砲狐には底はないのです。見たところ、鋳込み式成形でできているようです。白井さんの鉄砲狐の型はかなり摩耗して丸くなっていたのをお手本にしたようです。

落語「今戸の狐」には手内職で狐に彩色する人達の様子が出てきます。

今戸焼の狐には鉄砲狐以外のさまざまな型がありましたが何といっても一番需要のあったのは鉄砲狐だったので、いわば一番身近で代表的な狐であったはずです。時代の変遷によって今戸焼の生活雑器や道具類は身の回りから消えてしまいました。。

この鉄砲狐こそは、信仰の中で息づいている「生きた今戸焼」だと思っていたのですが今戸焼でなくなってしまい残念のひとことに尽きます。姿は一見似せて作られており、信仰の上では今戸焼であろうがなかろうが要は心であって関係ないだろう、と仰る方もおいでかもしれませんが、東京人のひとりとしてはかなりセンセーショナルなことです。

昔の鉄砲狐の画像についてはP1010240_2

 

落語「今戸の狐から」→

 

山田徳兵衛著「人形百話」より→

 

三島神社の鉄砲狐→

 

擦り込みのある鉄砲狐→

 

鉄砲狐の異種?→

などお時間ありましたらご覧ください。