東京の土人形 今戸焼? 今戸人形? いまどき人形 つれづれ

昔あった東京の人形を東京の土で、、、、

緑の風

2013-05-19 03:22:46 | おともだち

P1011162_2 もうすぐ梅雨入りと聞くと憂鬱になります。

先日のびっくり猛暑の日に比べると、昨日はつかの間の軽井沢日和という感じでした。たしか三社様のお祭りではなかったでしょうか。

 

 涼やかな風を十五夜さんの部屋に入れようと窓を全開。物干しの景色が昨年とはまた変わっています。一番の変化は「ふじばかま」の鉢と「みそはぎ」の鉢にもっとお天道さまを当ててあげたいので、手摺の外側に金属製のラックを固定して外に出したこと。その分「桔梗」や「みつば」にもお天道さまがよく辺りすくすく育っています。ちょっと困っているのが「みかんの種」や「りんごの種」を埋めておいたものがみんな発芽したので間引きして他の鉢に植え変えたりしたのが数が多くなりすぎてしまったこと。ごみで燃やされるより蒔いてあげれば生き延びることができると思って、、、、。大変なことに、、、。

 それはそうと十五夜さんも自分の家の中で昼寝していたのですが、起こしてしまいごめんなさい、マットの上にごろんとしてたわしで撫でてと催促しています。

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視線

2013-05-19 03:04:49 | 仕事場(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

P1011164_2 乾燥中の「丸〆猫(嘉永安政風)」(緑)と「本丸〆猫」(グレープカルピスみたいな模様)です。

 

 よだれかけの縁部分の黄色はキハダ(漢方薬の黄柏)を煮出した汁を重ねて塗った色です。

 これらの人形についてはHPの「飾り棚」という欄で記してはいるんですがここでも能書きを記させてもらいます。

 嘉永安政型は新宿の遺跡から出土したものを参考にモデリングしたものです。本丸〆猫は文京区の遺跡から背面だけ出土したものを参考に形は丸〆猫とほぼ同じな感じであろうと想定してモデリングしたものです。

 どちらも形としてはほぼ同じ。出土の現物の形からこれらの招き猫は「棚の上に置き、下から仰ぎ見ることを前提にモデリングされているのだろう」と思って瞳を入れているのです。

 画像を観ていただくと、どの猫さんも瞳が下目づかいになっていますでしょう。これはとりあえず意図的そうして入れているのです。山梨県の甲府にだるま屋さんがあって、そこで作られる張子のだるまはやっぱり、棚の上に飾られることを考えて下目づかいに瞳を入れているんです。面白いなと思っていたのですが、画像の猫さんたちをはじめて作ったとき、眼入れで普通にいれても何か変だなと試行錯誤してみた結果、モデリング自体が上から見下ろすようにできているんだな。と思ったわけです。

 嘉永五年の「藤岡屋日記」には、丸〆猫の大流行のことについて記録されていますが、①丸〆猫は浅草寺三社権現(現在の三社様、浅草神社)の鳥居横でお婆さんによって売り出されていた。②丸〆猫誕生の物語の主人公は浅草寺梅園院境内(現在の仲見世左手にある梅園しるこ辺り)でひねり土人形を作っていた老夫婦のお婆さんと飼い猫。(武江年表の話だと花川戸のお婆さんと飼い猫)③丸〆猫をお祀りして心願するときは、赤い座布団3枚を敷いて、魚は「このしろ」をお供えする、と指定されているなど面白いですね。


大慌て

2013-05-19 02:39:30 | 仕事場(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

P1011163 もうぐじゃぐじゃです。

 天気予報でもうすぐ梅雨入りすると聞いたので、まだ朝夕涼しい今がラストチャンスだと思って、膠を使う仕事は済ませてしまおうと慌てているところです。ここの仕事場は昨夏からクーラーがついていますので夏場でも暑さは凌ぐことはできますが、クーラーをしても膠の効き加減は別問題。

 ここの土地はかつては湿地とか田んぼだったところなので、夏になるとどこからともなくガマが這い出して夜中歩いていたりするくらいなので、湿気が強いんですね。それも膠にはよくありません。

 

 蒸し暑くなる前に、素焼きの済んでいる分だけ色を終わらせておきたいです。9月の北区伝統工芸展にもその分を回せたらいいんですけど、、。