東京の土人形 今戸焼? 今戸人形? いまどき人形 つれづれ

昔あった東京の人形を東京の土で、、、、

今戸焼(52)箱庭細工の招き猫

2015-02-25 21:48:31 | 今戸焼招き猫(浅草 隅田川)

今戸焼とひと口に言っても、作られた製品の幅が多く、茶道具等の高級品、素焼きの日常雑器、電気コンロの電熱器のコイル枠とか碍子、もあれば、土人形(今戸人形)、そしてここで画像をとりあげる「箱庭細工」などもあり、隅田川荒川沿岸で窯業が盛んだった頃の土を使っての「ものづくり」渡世の複雑さというものを思わされずにはいられません。「箱庭細工」というのは昔は夏場の涼み半分かなり盛んだったそうで庭の枠とか鉢の中に山だの丘だの川や池を作り、そこにミニチュアの家屋だの動物だの人物を配して楽しむもので、土台部分に粟や稗などの種を播いて発芽させ田圃や草っ原に「見立て」たりもしたとか、、。箱庭細工は素焼き製とか釉薬をかけた楽焼製もあれば、鋳物でできたようなものもあり、素焼き製にも新しいものはペンキで仕上げたようなものもあります。産地も全国に分布していただろうし、特に東では今戸、栃木の佐野の相沢さんも昔作っていたとか、、。西で名古屋の戸部辺り?京都の伏見深草、東山といった感じだったでしょうか。1枚目の画像は3体とも招き猫です。明治くらいのものでしょうか?3匹ともほぼ似た構図、真ん中の子の高さが3.3センチあります。ご覧のとおり2枚の割り型から抜き出したという単純なものではなくて、捻りなんです。捻りで手加減だけで大きさとか規格を揃えるというのはかなり難しいことではないでしょうか。箱庭細工とは別に浅草の捻りの人形というものがあって素焼きされたもの、生土に彩色したもの、釉薬をかけた楽焼風のものなどあり、成型する工程については同じような手間だと思います。

↑向かって左横(猫さんたちにとって右)から見たアングル。

↑向かって右裏(猫さんたちのとって左裏)からのアングル。
ほぼ同じ大きさ、規格を揃えるためには接合するパーツの加工でサイズをそろえたりする秘伝とか量る方法とか型とかがあり、パーツを揃えてから接合するのだと思います。これらの猫さんたちの材料となっている土は隅田川荒川流域の土、、学者の先生がいう「江戸在地系」の赤い天然土ではなくて、おそらく中京か京都方面から取り寄せた白い土のようです。そしてその上に「白化粧土」をかけて下絵の具で彩色して「有鉛透明釉」をかけて焼いてあるようです。
「有鉛釉」は江戸の今戸人形のなかで「舐め人形」といわれた施釉人形によく使われていたもので、子供が口に入れたり、舐めたりしても絵の具が溶けて
色落ちすることがない、ということで歓迎されていたようですが、実は人体に毒だということがわかって明治の半ば「太政官令」で人形や玩具に使うことを禁止された素材のひとつです。画像の猫さんたち、ところどころ「銀化」してみえますが、これは鉛のせいです。

今戸の箱庭細工に関しても画像のようなものばかりではないのです。いろいろ作者があり、使う土も隅田川荒川の焼くと赤くなる土を使っているものもあります。また上手下手のランクもあり上手のものは取り寄せた白くて粘りのある土で、細かい細工で明治以降海外に輸出されていたそうです。
最後の生粋の今戸人形師であった尾張屋・金沢春吉翁(明治元年から昭和19年)は明治の末、今戸人形が売れなくなって、箱庭細工に転向していた時期があり、その作品が浅草橋「顔が命の 吉徳さん」でお取り扱いがあったそうです。
吉徳さんのHPには保存されている貴重な人形や玩具の資料を紹介されているページがあり、その中に上等な箱庭細工も紹介されています。

「吉徳これくしょん」のサイトはこちら→
吉徳これくしょんの箱庭細工は高級品で、これらの中におそらく尾張屋・金沢春吉翁(明治元年~昭和19年)のお作も含まれているのではないかと思っています。
 
 この記事での猫さんたちは土は白いですが上等なものではないでしょう。といって最低のランクでもなさそうな。何よりここでご紹介した一番の味噌が招き猫のポーズです。もうおわかりだと思いますが、正面招きではなく、横座りで招いているということ。これらを作った箱庭細工屋さんたちはこのブログで「今戸人形」としてご紹介しているスタンダードな2枚の割り型からの「土人形」を作った人たちとはちょっと違った職分ではないかと思います。もしかすると焼成窯を持たず、七輪で焼いていた人たちに近いのかもしれません(推量であって断定はできません)。そういう畑の人たちにとっての招き猫のポーズも「横座り式」だったという認識を示す物証のひとつとしてご覧いただきたいと思います。今戸の招き猫の「横座り式」は古い様式で「正面招き」は西からの招き猫が流入したあとの影響下に生まれたものだと思います。「尾張屋さんの招き猫の貯金玉」、「寺島・高野安次郎の招き猫の貯金玉」
などの今戸焼の「正面招き」の作例は西からの影響のあった明治後半以降のものではないかと思います。

追記:この記事冒頭の今戸焼で作られた製品の幅の広さとともに作る製品によって材料となる土が昔から使い分けられていたことも記しておきたいと思います。お茶道具系のものには白い土が使われたことが多く、植木鉢、焙烙、貯金玉、などは地元の焼くと赤くなる土でした。いわゆる「今戸人形」「今戸焼の土人形」には地元の土が使われ、この記事のような「箱庭細工」には白い土の場合と地元の土の場合があり、その延長線上に鳩笛などでも施釉の場合白い土が使われる例を確認しています。おおざっぱに言えば、釉薬をかけない素焼きの人形には地元の土を使うという不文律のようなものがあったのではないかさえ見えます。しかし最近驚いたのですが、現在今戸焼として製作、販売されている人形の中に素焼きなのに白い土のものがあったのにはびっくりしました。♪まわるよ まわるよ 時代はまわる~♪♪♪