郷土玩具にお詳しい方だとそうでもないのですが、「今戸人形」=「一文人形」と思っている方がたまにいらっしゃいます。つまり、今戸焼の土人形は衣装人形とか高級なおもちゃや人形に手を出せない庶民の人形で「一文人形」とも呼ばれた、、。という解釈です。ある程度間違っていないとも言えますが、ちょっとニアピンという感じではないでしょうか。戦前の有坂与太郎の著作などを読んだあとの印象としては、今戸人形自体は衣装人形とか衣装雛とかに比べて購買層を庶民に絞って作られていたとは言えるのですが、大きさの違い、仕上げの違い、手の込んだものなどもあったりで、今戸人形と呼ばれるものの中にも多少のランクがあったのではないかと思います。例えば人形のサイズの呼び方に「中まじり」「小まじり」といったものがあったといいます。浅草の観音様の境内で露天で売られていた時代には半紙を斜めに折った上に、小さめの人形だとたくさん小さな人形が乗って売られていて「小まじり」、それより少し大きな人形だと大きい分数はすくなく乗っていて「中まじり」と呼ばれたそうで、ひとつ売りの場合「小まじり」なら4文だったとか記されています。ただし「大まじり」というものはなかったそうで大きな人形は普通に「人形」と呼ばれていたとか、、、。さらに、ここで登場する「一文人形」は鐚銭一文で売られていたもので小さい上に、焼きが入っていなかったり、せいぜい七厘で焼かれていたくらいなのでひどく脆くてすぐなくなってしまったということです。
ここにとりあげる招き猫2匹ですが小さいです。1円硬貨を一緒に並べてみました。向かって左が高さ2.8センチ。右が3センチ。ただ、自分としてはこれら「一文人形では?」と思っているのですが違うという人もいるかもしれません。戦前の郷土玩具の収集家の膨大なコレクションの一部などが、図版などで紹介されていることや戦前の愛好家によって絵に描かれたものがあり、その中で「一文人形」として紹介されているものには作りが明らかに違う例が混ざっているのです。画像の招き猫のように2枚の割り型から抜き出して成型するもの、泥めんこに似て1枚の型から抜き出すもの。いずれも型から抜き出して成型できるもの。これらは、七輪か何かで火力は弱くても焼きが入っているものがあり、ないものもあるような感じがします。
もうひとつ「一文人形」と記されているタイプは捻りによって成型されているもの。この中には一部型を使って胴体はそろえておいて型からはずしてから手先で曲げたり、ほかのパーツと組み合わせたりして、竹ひごなどを挿して簪に見立てたり、紙片で扇子を切って生のうちに体に挿し込んで乾燥させ、焼かずに胡粉や泥絵の具、染料などで色をつけるというものです。
「一文人形」については改めて記してみたいです。(その上でご存知の方にお教えいただきたいです。)
まずはこれら画像の招き猫も「横座り」で招いていることに「今戸焼招き猫」の典型的な特徴が顕れていると見ていただきたいと思います。
ちなみに向かって右の猫はポーズとしては「丸〆猫」と同じなのですが、型の彫りとしては「丸〆」印は確認できません。でももしかするとまったく同じ型から生まれたもので手描きで「丸〆」と入っているケースも存在するのではないかと空想しています。背面の胡粉の塗り残しすごいですね。「出来について一個一文の人形に注文なんかするな。それは高い人形に対して注文することだ。」なんてやりとり。「西鶴置土産」?だったかにこうした件があったような、、。その分土の焼き色が見えます。火力というか温度が低く生に近い感じがします。左の猫はたぶん1枚型から抜き出したものでしょう。いわゆる「打ち込み」式の成型です。
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