既に今年も折り返し点を過ぎたとかラジオやテレビで聞きますが、7月も終盤。ちょっと焦ります。というのも今年に入ってからレギュラーの仕事に明け暮れていたので、日頃からレパートリーを増やしたいという思いがあまり達成できていないのです。昨年でいうと7月に作品展をさせてもらえる機会があったので、それなら新しいレパートリーも、、と思ってその時点で3種類の人形を起こしました。
先日まで型抜きして素焼きまで運んだ鉄砲狐に着色して早くお納めにあがりたい、という思いもあるものの、その次の動きを考えると色を使う前に既成の型の人形もある程度型抜きして貯めておいて早く乾燥させ、色塗りの裏で素焼きを済ませておこう、できればせっかく粘土いじりをするのだから、ひとつでも新しい型を起こして、それも型抜きして素焼きを目指したい、と思いました。
常日頃から仕事場のスペースのことでぼやいていますが、実働する手は2本。できることに限りがあるのは当然ながら、ふたつ以上の作業を同時進行できるならば、気持ちを急くこともないんですが、、。
今回起こしたのは福助とお福の夫婦。今戸の福助といえば、東京の古典落語の演目のひとつ「今戸焼」の最後のオチに出てくることでも有名です。落語の演目でもうひとつ有名なのは「今戸の狐」に出てくる鉄砲狐ですね。落語に出てくるくらいなので今戸焼の福助もどこにでもあったのでしょう。しかし思い出すのは昭和を代表する郷土玩具の愛好家であり研究家でもあった故・牧野玩太郎さんの文章の中に「未だ見たことないもののひとつ」として「今戸焼の福助」が記されていたことです。昭和40年代に芳賀書店から発行された「東京の郷土玩具」という写真集の巻末の文章だったと思います。
ただ最後の生粋の今戸人形師であった尾張屋・金沢春吉翁(明治元年~昭和19年)のお作りになった人形を昭和40年代に所蔵している人々を訪ねてカラー写真撮って、愛好家の間で頒布されたという今戸人形の生写真の中にはふたとおりの「福助とお福」があったように思います。後にある愛好家の方がその写真セットを貸してくださって、まとめてカラーコピーさせてもらったことがありました。
その後紆余曲折あって、実際には結構今戸の福助やお福は明治までたくさん作られていたという実感を持つくらいに結構伝世品や近世遺跡からの出土が多いことがわかりました。
昨日型起こしした福助とお福。実際に手がけはじめたのはもう何年も前のことだったのですが、100パーセント納得したという感じでもないのですが、とりあえず割り型を作ろうと決心しました。「組み物」というのはモデリングには厄介だと思います。先にできていたのはお福で、相手の福助ができあがらないとひとりだけ作っても、、、と思いずっとそのままでした。先の丑年に作った「お福牛」はこのお福を直して作ったものです。
抜き出した状態での福助とお福。福助のほうが一日早く抜き出したので遅れて抜き出したお福とならべてみるとサイズが揃っていないようにも見えるのですが、福助のほうが乾燥が進んで収縮しているので、先年素焼きまでしておいたお福と並べてみました。
福助が完全に乾燥しないとどうなるかまだわかりませんが、揃ってほしいです。今戸の福助には伏見人形由来の「叶福助」もあり、何年か前に作ったことがありました。今回の福助とお福のペアにもたくさんの型変わりやサイズの異なるものがたくさんあるので、今後今回のものをもとに変化させてみたいと思います。はやく素焼きして色塗りするのが楽しみです。(色を塗ってはじめてがっかりというケースもあるんですが、、。)
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