東京の土人形 今戸焼? 今戸人形? いまどき人形 つれづれ

昔あった東京の人形を東京の土で、、、、

今戸人形「裃雛」(江戸時代後期)

2011-03-01 22:09:52 | 今戸人形(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

P1010121 今日から3月。上巳の節句、雛祭り目前です。

今戸焼の土人形の中にもお雛様は色々な種類が作られていたと思われます。一文雛、古今風の雛、浅草雛、そしてそれに付随する三人官女や五人囃子、随臣もあったようです。しかし、今戸焼のお雛様で最もポピュラーであったと考えられるのが、この裃雛です。

都内の近世遺跡からの出土の量、伝世品の数を見ても膨大で、今戸焼で作られた人形の種類の中でも、稲荷の狐、恵比寿大黒と並んでベストスリーに並ぶものではないかとさえ考えられます。

裃雛は下総地方へ大量に鬻がれたことから別名「下総雛」とも土製の裃という意味で「ドガミシモ」とも呼ばれていたようです。人形の一大産地である埼玉県鴻巣では着付けの裃雛が大量に生産されていたのに対して、土の裃で「ドガミシモ」でしょうか?女雛は「今戸のあねさま」とも呼ばれていたようです。

伝世の裃雛としてよく知られているのは、群青色と洋紅またはスカーレット染料の2色で塗り分けられた配色のもので、天保年間以降明治中頃まで作られていたものが多いですが、画像のように植物のキハダと蘇芳(すおう)を煮出した汁によって塗られたものも存在します。

群青色(プルシャンブルー)が土人形に使用されるようになったのは、浅草橋にある老舗の人形問屋「吉徳」さんに遺されている天保年間の人形・玩具の配色見本の中に見出せるので、天保頃からかと考えられますが、画像のように植物の煮出し汁を使った彩色は、それより古いやり方ではないかと考えられます。しかし、新しい顔料が渡ってきたとしても、或る日一斉に全ての絵付け師たちが同じように彩色を一新するとは考えられないので、過渡期には植物染料で絵付けする人と新しい顔料を使う人とが共存する時期もあったことでしょう。

画像のお雛様はサイズが揃っていないので、本来の一対ではありませんが、植物染料の使い方、配色など時代としては同じくらいのものでしょう。キハダ汁の使い方を見ると、汁を塗って黄色く発色させたままの部分とその上から砂子(真鍮粉)を散らして変化をつけている部分と区別しています。

2体とも面描きの筆の穂先や、額の生え際のタッチが鋭く、丁寧です。また、顔の地肌を研ぎ出し(膠を多目に混ぜた胡粉地を乾いた紅絹布などでつややかに磨き出す)てあるなど、かなり手の込んだものなので、今戸焼の土人形の中でも、高級志向の仕上げのものと、普及品とのランクがあったのではないかと思いますがどうでしょうか?

港区三田の牧野家墓所から出土したという裃雛がありますが、その手の込んだ面描きに画像の人形も似ているような感じがします。

裃雛の女雛がその昔「今戸のあねさま」としていかにポピュラーだったかを示す「地口ゑ手本」があります。お時間ありましたら、どうぞ。

「地口ゑ手本から①」へ→


最新の画像もっと見る

4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
都月さま (いまどき)
2011-03-05 22:52:39
コメントありがとうございます。
「ドガミシモ」の「ド」は「土」だという話で書きましたが、人によっては「ど根性」とか「度肝」の「ど」のように強調する「ど」だという意見も読んだか聞いたかした憶えがあります。
返信する
「ドガミシモ」とは言いえて妙ですね。そのような... (都月満夫)
2011-03-05 15:19:14
塗料の過渡期というのも面白い。歴史があるからこそ分かる、今戸焼きですね。
したっけ。
返信する
でれすけ狐さま (いまどき)
2011-03-03 18:27:08
コメントをありがとうございます。
お墓から出てきたという話はこれまでも聞いたことがあります。亡くなられた方のために一緒に埋葬したというケースもあったことでしょう。時代や地域によってそういう風習もあったことかと考えられます。このお雛様自体は不祝儀専用のものではなく、一般的なお人形だったかた思われます。浅草橋の老舗の人形問屋である「吉徳」さんの本社ビルの改築の際にも地中から発見されたといいます。川柳「柳多留」の有名な句に「村の嫁 今戸の土偶で 雛祭り」というのがあり、下総地域に多く鬻がれたようです。昔聞いた話だと多古町あたりに今戸人形を取り扱う問屋さんがあったそうで、山武郡あたりにもたくさん渡っていったのではないでしょうか?飯岡で、今戸人形から型抜きして地元で作った「飯岡人形」というものがあったそうですし、上総地方に流れた今戸人形から型抜きして地元で作られた「芝原人形」というものもありました。私自身、佐原市内の神社の境内で雨さらしになった人形を見たことがありました。貴重なお話をありがとうございました。
返信する
初めまして!いつも楽しく読ませて頂いております... (でれすけ狐)
2011-03-03 01:42:52
初めまして!いつも楽しく読ませて頂いております。私の実家は、千葉県山武町(現山武市・上総)なのですが、30年程前に祖母が亡くなった時、埋葬(土葬)の為に掘った土の中から、この人形が出て来たのを覚えております。残念ながら現存はしておりませんが、女性の方はほぼ原形を止めていましたが、男性の方は肩から上の頭部だけで、色は着いていませんでした。その姿形から女性の方が母親、男性の方が子供で、子供?が亡くなっ時に寂しくないよう一緒に埋葬したのでは? と皆で話したのを覚えています。隣の成東町(現山武市)の墓地でも見かけた事がありますので、埋葬人形としても使われていた様です。乱筆、乱文、失礼致しました。
返信する

コメントを投稿