今戸焼の土人形の中にはこのような形で商品化されたものもあったのですね。
やり方としては以前とりあげた「枡入りの恵比寿大黒」と同じ傾向で、多くは一枚の抜き型による片面だけの人形か、2枚型でも奥行きの浅い人形を箱に貼りつけるなどして固定してあります。
ガラス板の縁を黄色く染めた紙でカバーして手を怪我しないようにしてあり、上の一辺だけ箱に固定して蝶番のような役目をさせています。
画像では中央に両手で笏を持った型の天神様、両脇に狛犬が鎮座する構図になっています。
経木の箱の底、つまり天神様の背後には緑色に染められた紙が貼りつけて色どりを添えています。ボロボロになっているのでわかりませんが、何か摺られていたのでしょうか?
ガラス板には内側から梅鉢紋のある赤い幕が描かれています。人形同様に膠溶きの胡粉と泥絵具で描かれているので、時間を経て剥離しています。現代ならばアクリル絵の具やペンキなどあるので定着をしっかりとできるでしょうが、当時としては精一杯の装飾だったのでしょう。
一枚目の画像の天神様の両側には狛犬が鎮座していますが、随臣が左右に置かれるバージョンもあったようです。というのも、箱から外れてしまったような人形も残っているからです。また随臣にも複数のパターンがあったようです。椅像になっているものや足を前に突き出しているのもあります。
こうした経木の箱に固定させるパターンは天神様以外にも恵比寿大黒や招き狐、などもあったようです。
今戸人形といっても、経木、紙。ガラスなど異なる素材を組み合わせてできているので、全て今戸焼屋さんが作ったのではなく、人形の木地を作る人、絵付けをする人、箱を作る人、ガラスに紙を貼る人、という風に、分業体制で仕上げられたのではないでしょうか?最終的にパーツを組み合わせるのは際物屋さんあたりではなかったでしょうか?
明治時代のことですから、ガラスの蓋つきということで高級感を出そうという意識があったのではないかと想像しています。
もっと薄い経木で食べ物を包んでいたのは私もみています。お稲荷さんとか、、。お赤飯とかシューマイも経木の箱に入っていましたね。駅弁も経木に入っていて、包みを開けると木の香りがしましたね。今から思えば贅沢な感じがします。