買ってきたおはぎをお供えして、ひとりで送り火をしました。今年はあんまりしっかりとしたお供えをする余裕がなかったのでご先祖様たちにもお気の毒な感じがしています。
母が盛り篭は高いから買うな、花も安いのを買えと、自分で動かないくせにいろいろうるさいので、花はひと束¥200以下の菊の花だけ買ってきて、植木のミソハギとききょうを切って添えただけ。お供えも迎え盆の日に買ってきたおはぎとサクランボと今日買ってきたおはぎだけです。「来年はもう少しお供えのグレードを上げますね。」とひとりごとを言いながらの送り火でした。
そういえば、使っている焙烙は数年前スーパーで間に合わせた大量生産品のものなのですが、本来は東京で使う焙烙は今戸焼製なんです。今では今戸焼の焙烙を作っているのは葛飾区青砥の内山さんだけになってしまったのではないでしょうか?時代とはいえ、さびしいものですね。
最近、きっちりとこの風習を守る家も減ってきましたが、いまどき家の御先祖さまは、迎え火や送り火で、迷わずに彼岸との行き来をされたことと思います。
そうですね。東京のお盆は区部だとひと月早いのです。郡部のほうへ行けばまだ8月のところもあると思います。わが家も私が小さかった頃はなすときゅうりに妻楊枝で足をつけてお供えしていたこともありました。京都のほうでは牛と馬はやっぱり真菰製ですか?前はちゃんと丹波ほうづきとかそうめんとか盛り篭もお供えしていたのですが、、、。ひとりでやるとなるとどうも手抜きになってしまいます。
それに、こちらではそういう風習がありません。なんかいいですね、ご先祖様をお迎えして、お送りする。日本人の心ですね。
したっけ。
今わが家はほんの略式です。昔は東京でもお供え棚を飾ったり、盆提灯だの切り子灯篭を吊るしたりなどきれいに飾りつけしたみたいですよ。そうめんを茹でたのを波状に吊るしたり、丹波ほうずきを吊るしたり、それとお供えものも一日目二日目三日目と日替わりで変える家もあったみたいです。略式でも要は心といいわけして手抜きをしています。
私は谷中の近くに住んでいますので、7月の盆に檀家回りをするお坊さの姿を見て育ちました。
私の母親は北関東の出身で、実家の盆は月遅れの8月です。昔は完全に旧暦の7月15日で行っていたのですが、年によっては9月にずれ込み不便なのと、戦後の復興期に、戦没者供養の日でもある8月15日の月遅れにあわせる農村生活合理化運動というのがあって、村全体で月遅れの盆行事をするようになったといっていました。
谷中界隈にお住まいなんですね。
20代の頃上野不忍池のそばに勤めていて、リヤカーを引っ張って三段坂を行き来していたんです。
最近、拙作の人形を売り込みに回ったのですが、案外まだ通ったことのないところがいっぱいあって流石谷中は奥が深いと思いました。あの近辺にお住まいだと昔の「お迎い屋さん」のはなしなどご存じですか?それも「お迎い屋」さんが回って集めたお供えもののなすやきゅうりを上野の某老舗で買い上げて、福神漬けにして売ったという古い噂話(もちろん戦前、大正、明治の噂だと思うのですが)
結構地元で有名だったらしいですね。